高倉塚古墳は、多摩川沿いの府中崖線と呼ばれる斜面に点在する高倉古墳群の中心的な古墳である。直径約20mの円墳が住宅地のど真ん中にある。住宅と住宅の間に違和感なく存在している姿は実に不思議な光景だ。
高倉塚古墳
現地説明板より(府中市教育委員会)
高倉塚古墳の埋葬施設は未調査ということか?墳丘に登ってみた。上から見下ろすと、結構な高さを感じる。
高倉塚古墳の説明板によると、高倉古墳群で確認されている古墳は25基あり(「府中の古墳」というパンフでは28基となっている。)、墳丘が残っているものは4基あるという。その4基を「府中の古墳」に載っていた地図を頼りに探してみた。
高倉塚古墳から北に向かい線路を渡ると八雲神社がある。八雲神社は素戔嗚命を祀っているが、もとは天王宮といい牛頭天王を祀っていた。社殿裏に天王塚古墳がある。神社にある説明板を見ると未調査らしい。墳丘はかろうじて小山が確認できる程度だが、おそらく直径約15m~20mほどの円墳にだったと思われる。
八雲神社
天王塚古墳
八雲神社からさらに北に向かうと浅間神社がある。地図によると浅間神社の東側に墳丘が残っていると記されている。住宅地の網の目のような道をうろうろして、おそらくこれだろうというのを見つけた。赤い鳥居に狐なので稲荷神社だ。そこに、盛り土がある。右の狐の後ろの白い壁は住宅で、その住宅の庭のような狭い敷地である。稲荷神社があったから、墳丘が残されたのであろう。
浅間神社
あと一つの墳丘は、地図によると、浅間神社の西側にある西保育所の横にあるようだ。保育所はあるがそれらしきものはない。行ったり来たりして見つけたのがこれ。竹におおわれているがなんとなく墳丘は確認できる。この墳丘も直径20mぐらいはあったのではないだろうか。
府中崖線には、高倉古墳群のほかに、13基の古墳が確認されている御嶽塚古墳群、要塞のような武蔵府中熊野神社古墳など、半径500m位の中に、多くの古墳が存在する。府中崖線の南の多摩川を望む景色はさぞかし素晴らしいもであっただろうと思われる。6世紀から7世紀にかけて、ここに古墳群を形成した豪族はどのような集団であったのだろうか?謎が謎を呼ぶ。そう簡単には、古代史の謎は解けないものだ。