ちゃぼたつ
御嶽塚古墳は、JR南武線西府駅の南改札から、なんと徒歩30秒のところにある。おそらく駅に一番近い古墳だ。
御嶽塚古墳(みたけづかこふん)
現地説明板より
御嶽塚は、もともとは古墳時代に築造された古墳で、直径約25mの墳丘と、その周囲に幅約7mの溝がめぐる円墳でした。その後、中世になると屋敷を濠で囲む約200mの四方の区画の中心に位置することとなり、さらに、江戸時代には信仰の対象として祀られることになったと考えられます。
現在、塚上に祀られている石祠には「御嶽大権現 安政五午年 十一月吉日 小野宮願主 内藤伊助」の銘があります。御嶽信仰は、山岳信仰のひとつで、中世以降さかんになり、江戸時代に各地に広まりました。小野宮は、現在の住吉町3丁目に所在する小野神社周辺の集落で、本宿村に属していました。
西府文化センター周辺では、御嶽塚の他にも、古墳時代後期の6~7世紀はじめ頃に築かれた13基の古墳が確認されています。墳丘に配された円筒埴輪や石室に納められた圭頭大刀、金銅製の耳飾などが出土しています。これらの古墳は、この塚の名に因んで御嶽塚古墳群と呼ばれています。その範囲は、東側の新鎌倉街道から西側の国立市境付近にまでおよんでいます。
御嶽塚の北方約500mの位置には、国史跡武蔵府中熊野神社古墳が所在しています。御嶽塚古墳群よりも後の時代に築かれたもので、上円下方墳という国内でも数少ない墳形の古墳です。発掘調査の成果をもとにして、当時の姿に復元されています。
ちゃぼたつ
東京の駅の横にあるとは思えないくらいしっかりと墳丘が残っている。さっそく登ってみよう!これが説明に書いてあった石祠か・・・。
ちゃぼたつ
現在の墳丘の高さは約1.5mで、墳丘上部は、築造当時と比べて大きく削られている。埋葬施設は不明だが、御嶽塚古墳群には、河原石を積み上げた横穴式石室が発見されたものが8基あった。御嶽塚古墳も同様の石室があったと考えられる。
ちゃぼたつ
御嶽塚古墳のある府中市は、律令の区分では武蔵国だった。武蔵国は、現在の東京都、埼玉県、神奈川県の一部だ。武蔵国造から御嶽塚古墳の被葬者を探ってみると・・・。
无邪志国造
志賀高穴穂の帝(成務天皇)の御世に出雲臣の先祖、名は二井之宇迦諸忍之神狭命(ふたいのうかもろおのかむさのみこと)十世の孫、兄多毛比命(えたもひのみこと)を国造に定められた。
胸刺国造
岐閇国造(ぎへのくにのみやつこ)の先祖、兄多毛比命の子の伊狭知値(いさちのあたい)を国造に定められた。
知知夫国造
瑞籬の帝(崇神天皇)の御世に八意思金命(やこころおもいのかねのみこと)十世の孫、知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)を国造に定められた。
〈先代旧事本紀‐国造本紀〉
志賀高穴穂の帝(成務天皇)の御世に出雲臣の先祖、名は二井之宇迦諸忍之神狭命(ふたいのうかもろおのかむさのみこと)十世の孫、兄多毛比命(えたもひのみこと)を国造に定められた。
胸刺国造
岐閇国造(ぎへのくにのみやつこ)の先祖、兄多毛比命の子の伊狭知値(いさちのあたい)を国造に定められた。
知知夫国造
瑞籬の帝(崇神天皇)の御世に八意思金命(やこころおもいのかねのみこと)十世の孫、知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)を国造に定められた。
〈先代旧事本紀‐国造本紀〉
ちゃぼたつ
府中市にある大國魂神社からは、奈良時代の国府跡が発見されている。大國魂神社は、出雲臣の祖、天穂日命の子孫が、武蔵国造に任ぜられて奉祀を行ったと伝わる。成務天皇の治世を4世紀中頃と推察すると、兄多毛比命が4世紀中頃に武蔵国造となり、代々子孫が武蔵国造を務めたと考えられる。古墳時代後期の直径約25mの円墳となるとそこそこの規模である。御嶽塚古墳の被葬者は武蔵国造に仕えていた豪族か?
ちゃぼたつ
府中崖線は、多摩川が作り出した河岸段丘で、崖線沿いに遊歩道が整備されている。近くにある高倉塚古墳や府中熊野神社古墳ともに府中の古墳巡りコースが面白い。そう簡単には、古代史の謎は、解けないけどね。
【古墳を行く!】まるで要塞!1300年前の近未来???武蔵府中熊野神社古墳(東京都府中市)
東京都府中市に7世紀の中ごろに築造された武蔵府中熊野神社古墳がある。築造当時の姿に復元された古墳は、まさに要塞!近未来を思わせるその姿に迫る。
参考:現地説明板、パンフ「府中の古墳」「国史跡武蔵国府跡」