
若宮神社
「道は阿波より始まる」が別宮八幡神社のもとあった場所としている古別宮の夷子神社ですが、これがいくら探しても見つかりません。
夷子神社は「川内村史」にも記載があるので必ずあるはずなのですが、とうとう見つかりませんでした。
いろいろ調べて位置関係などから、たぶんこれじゃないかというのが 応神天皇の子の仁徳天皇を祭神とする若宮神社です。「川内村史」には境内社として事代主神社も記されていますし・・・間違っていたらゴメンナサイ。


社地はそこそこの広さがあります。鳥居の前は一面サツマイモ畑が広がっています。若宮神社のある下別宮は、「川内村史」によると、かつては「古別宮」と呼ばれていた島で、貝塚や弥生式土器が発見されているということです。

結構古くから人がいたんだ
この辺りがかつて「古別宮」と呼ばれていた島であって、若宮として仁徳天皇が祀られているということは、応神天皇に関する何かがあったことは間違いと思われます。
宮島
若宮神社のあるかつての古別宮島の隣に、「道は阿波より始まる」で応神天皇の母である神功皇后が居をかまえたとする宮島があります。
「道は阿波より始まる」ではそれ以上の情報がありません。
神功皇后の皇居があったとして、宮島で宮跡らしきものはというと金刀比羅神社ぐらいになります。※根拠はまったくありません。


主祭神は大物主命です。他に何柱か祀られていますが、神功皇后の名はありません。
一の鳥居、二の鳥居とやたらとでかいのですが、江戸時代に宮島浦は藍の積出港として栄え、藍商人たちが海上安全を祈願して寄進したものらしいです。
金刀比羅神社の創建は慶長6年(1601年)となっています。「川内村史」には、慶長7年の検地帳で宮島は「別宮島」と記され、慶長9年には「宮島村」となり、その後「宮島」となったと書かれています。
ということは、宮島は、もともと「別宮島」だったことになります。「上別宮」と「下別宮」がやけに離れているのが気になっていたのですが、現在の宮島全体が「別宮島」だったと仮定すると、上の地域が「上別宮」、下の地域が「下別宮」と呼ばれていたことも納得です。
宮島が「別宮島」だったすれば、金刀比羅神宮の創建とは関係ないので、どこかの神社の別宮もしくは誰かの別宮だったことから名づけられたと推測できます。

神功皇后の別宮?