建島女祖命神社を行く!
社殿は、急な階段を上った丘の上にあります。

建嶋女祖命神社は、日峰山の北西端の直径約60mの小山の上にあります。往古は、おそらく小島か半島の先端部分だった思われます。
社殿へ向かう階段の横は、階段の横は岩盤がむき出しで、社殿の横も岩がすぐそばまで迫っていました。
由緒書きには5人の女神の名が・・・。

由緒書きに書かれているだけでも「埴生女屋神」「建島女祖命下照姫」「埴安比売命」「沖津比女命」「伊邪那美命」と五人もの女神が書かれています。祭神の建島女祖命が誰なのか決定打がなかったということなのでしょう。
建嶋女祖命とは?

建嶋女祖命をそのまま解釈すると、建嶋を開拓した女神ということになります。三代実録で位を受けた埴生女屋神は、埴生を開拓した女神ということになるので、建嶋を開拓した女神とはちょっと違うような気がしますが・・・。
一時期ですが、埴生女屋神社と称した神社があります。神山町にある上一宮大粟神社です。この辺りは、平安期に埴土郷(はにごう)と呼ばれていたとされています。埴生(はに)を開拓した神の意味をもつ埴生女屋神は、埴土郷を開拓した一族が祀った神だと考えるのが自然だと思います。
Wikipediaで建嶋女祖命神社を調べていると、滋賀県高島市の波爾布神社が、天平13年(741年)に阿波国の建嶋女祖神社から波爾山比賣命(ハニヤマヒメ)を勧請したと伝えているとありました。
日本書紀では、伊弉冉尊(イザナミノミコト)が水神罔象女(ミツハノメ)と土神埴山姫(ハニヤマヒメ)を産んだとあります。滋賀県高島市の波爾布神社は、伊弉冉尊から生まれたこれら二神を祀っています。
古事記では、伊邪那美命は、彌都波能賣神(ミツハノメ)と波邇夜須毘賣神(ハニヤスヒメ)を産んだと記されているので、ハニヤマヒメとハニヤスヒメは同一神だといえます。
つまり、滋賀県高島市の波爾布神社の社伝が伝えるところを信じるとすれば、建嶋女祖神=ハニヤマヒメ(ハニヤスヒメ)ということになります。
埴安姫命は、天照大神、大己貴命、少彦名命、倉稲魂命とともに阿波の神社に必ずある地神塔に刻まれている阿波では重要な五神の一人です。

建嶋女祖神の「建」の字から、建御名方神と結びつけて、下照姫というのは、さすがにちょっと無理があるような気がしますね~。
沖津比女命は、別名を多紀理毘売命といい、宗像三女神の一人で、大国主命の妻となり、味耜高彦根命と下照姫を産んでいます。下照姫がらみで名が挙がっていると思われます。しかし、建嶋女祖神が沖津比女命とすれば、海人族が建嶋の開拓神として祀ったとも考えられます。土地柄から十分考えられることです。
まとめ
建嶋女祖命神社の祭神である建嶋女祖命は、埴安姫命ではないかという説が一番有力な気がしますが、結局のところよくわかりません。ただ、建嶋女祖命神社の周辺からは、古墳時代前期のものと思われる古墳が数多く存在していたという記録もあり、4世紀頃にこの地を開拓した一族が、祖神として建嶋女祖命を祀ったのではないかと推察されます。
建嶋女祖命神社のすぐ近くには、日峰山があり、山頂に日峰神社があります。日峰神社の祭神は、大日霊貴神(おおひるめむちのかみ)で、天照大神の別称とされています。

大日霊貴神、天照大神はまさに女祖にふさわしい神です。日峰山と建嶋女祖命神社も何か関係があるのかもしれませんね。