野村八幡神社古墳の位置と大きさ
野村八幡神社古墳は、野村八幡神社境内にあり、吉野川中流域の標高約73mの河岸段丘一段目の先端上に位置しています。国道から見てもかなり高い位置につくられていることがわかります。
神社が高いところにあるので、国道からは見えません。入口も狭くわかりにくいので、1回は通り過ぎると思います。私は、入り口が分からず行ったり来たりしてしまいました。
神社の階段を上りきると、探すまでもなく、社殿のすぐ横に野村八幡神社古墳がありました。横穴式石室が南に向けて開口していました。開口部に結晶片岩の巨石が転がっています。石室の構造石だと思われます。
野村八幡神社古墳は、直径約25m、高さ約5mの円墳です。6世紀後半の築造だと考えられています。社殿建築の際に、古墳の一部が削り取られたようですが、たいへん良い状態で残されています。
横穴式石室の形状は典型的な段の塚穴型
羨道部から玄室をみると、両袖式の立石がきれいに並んでいます。床面に袖石の幅で敷居のように結晶片岩の板石が埋め込まれているのが確認できます。
いよいよ、玄室内へと入っていきます。側壁は、砂岩の自然石がたいへん美しく積まれています。奥壁は、結晶片岩の大きいな一枚岩でつくられており、幅2.2mの棚が設けられています。棚のある位置から、側壁を持ち送ってカーブを描き、天井部へ向かうにしたがって幅が狭くなっています。
天井を見上げてみると、天井石を持ち送るように積み上げて真ん中の天井石が最上部にくるようにしています。ドーム型天井と呼ばれる段の塚穴型の典型的な姿です。床面から天井面の高さは2.05mで、県内では段の塚穴の太鼓塚古墳について2番目の高さです。玄室の長さは3.85m、最大幅は2.1mもあります。
玄室内から開口部を眺めてみました。羨道部の長さは4.5mですが、入り口部分が削り取られているので、本来はもっと長かったと考えられています。
開口部に寝かされるようにして置かれている結晶片岩の板石は,羨道部の天井石か羨道部入口を塞いでいた閉塞石だと考えられています。よく見ると「岩倉」の文字が浮き彫りされている。縁がきれいに彫り込まれているので、どこかで石碑か道しるべに再利用さていたものが戻されたものかもしれません。
野村八幡神社古墳の被葬者に迫る
野村八幡神社から約2kmほど西に、同じころに築造され、同じような石室構造をもつ古墳があります。段の塚穴古墳群とよばれている太鼓塚古墳と棚塚古墳の2つの円墳です。段の塚穴古墳群の近くに郡里(こうざと)廃寺跡があります。
郡里廃寺跡は、白鳳時代(7世紀中頃から8世紀初め)の寺院跡で、金堂跡や塔跡が確認されています。豪族たちの権威の象徴は、古墳から寺院建築へと変わっていたとされています。
野村八幡神社古墳の被葬者も太鼓塚古墳を築造した一族と同じように、美馬郡を統括した豪族だったと考えられます。しかし、今回は、被葬者に迫れるほど状況証拠がそろわなかったので、迫るまではいきませんでした。あしからず・・・。
まとめ
野村八幡神社古墳は、横穴式石室の内部の見学もできます。石積みの様子もよく観察できるので、初心者にはたいへんおススメの古墳です。
参考文献:「日本の古代遺跡37徳島」「脇町史」
訪問日:2020年1月4日