【阿波の神社を行く!】静寂の神、月読尊を祀る「西照神社」(美馬市脇町)

阿波の神社を行く!
徳島県美馬市脇町の中心部から車で山道を登ること約30分。標高946mの大滝山の山頂に、伊邪那岐命から生まれた三貴神の一人、月読命(つくよみのみこと)を祀る西照神社(にしてるじんじゃ)があります。そこは、記紀神話で派手に活躍する天照大御神や素戔嗚尊とは対照的な、静かなる神、月読命を象徴するような静寂さに包まれています。

境内の至る所に残る伝説

天保14年(1843年)に奉納されたという狛犬が迎えてくれます。伝説によると、この狛犬は狼から母子を救ったと伝えられています。
社殿へと続く階段と鳥居が、いかにも厳かな雰囲気を醸し出してます。
境内に高くそびえる千年杉は、日清日露戦争の際に、穂先が煌々と輝いて辺りを照らし続けたと伝えられ灯明杉とも呼ばれています。
ちゃぼたつ
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境内に神社由緒が書かれた案内板が立っていました。なかなかものすごいことが書かれています。

古伝の存す所を案ずるに上代神世の昔、伊邪那岐尊、高御産巣日神の詔を以ちて、筑紫の日向の橘の小戸の阿波峡原に降り、禊祓まして心身清浄なる身を以って山川草各々の主管者を任命し、終わりに天照大神を高天原へ。祖国並びに大八州国を統治し次に月読尊は夜の食国(筑紫の国即ち九州全域尚湯の出る国即ち四国の嶋)を統括し、東大和紀伊の動向を看視せよと委任し給ふ。そこで月読尊は航海の神、田寸津姫命即ち宗像の三神の部族を率いて伊予から阿波の国に移り、大滝山の頂、展望のきく所に櫓を設け、瀬戸内海難波及び大和の動向を監視せしめ・・・。

伊邪那岐尊が阿波峡原で禊をするまでは記紀神話通りですが、そこから、統括だの動向を監視するだの何やらただならぬ様子が書かれています。月読尊は、伊邪那岐尊に派遣されて、東大和紀伊の動向を監視するために大滝山にやってきたというのです。

大滝山からの展望は絶景

大滝山から、香川県側を見ると高松市街その向こうに瀬戸内海が一望できます。屋島もはっきりと見えます。

東側を見ると、吉野川市辺りがよく見えます。

神社由緒には、大滝山の頂、展望のきく所に櫓を設け、瀬戸内海難波及び大和の動向を監視したとありますが、東大和は大和の東ですから、単純に解釈すると大阪(難波)ということになります。しかし、さすがに難波や紀伊までは見えません。木々が生い茂る前は遠くまで見渡せたのかもしれません。讃岐国には、かつて、寒川郡に難波郷がありました。瀬戸内難波は、その難波郷あたりだったかもしれません。

ちゃぼたつ
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そうなると、大和は倭(やまと)。倭大國魂命がいたところかもしれません。おっと、妄想がとまりません。

【阿波の神社を行く!】全国唯一!倭大國魂神を冠する神社!延喜式内社「倭大國玉倭大國敷神社」
倭大国魂神は、その名の通り、倭の国そのものを表す神様です。倭大国魂神を冠する神社は、延喜式神名帳では、阿波国の倭大國玉神倭大國敷神社しかありません。

空海がお祀りした西照大権現

西照神社は、明治の神仏分離までは西照大権現と称していました。弘仁6年(806年)空海が42歳の時に、大滝山に登った際に、空海の遠祖天忍日命の使いという翁が現れ、頂上にある古塚がその神の神跡であると教えられたと伝えられています。空海は、そこに草庵を構えてその霊を祀りました。その草庵が大滝寺であり、その神が西照大権現であるといわれています。

つまり、西照大権現=天忍日命ということになります。

天忍日命は、大伴氏の祖神とされ、瓊瓊杵尊が天降ったときに、天津久米命とともに先導した神様です。大伴氏の祖であることや天孫降臨時の役割から、軍事を担っていたと考えられます。

ちゃぼたつ
ちゃぼたつ

神社由緒に書かれていた月読尊の任務っぽい表現や日清日露の際の灯明杉の伝説と天忍日命が軍事を担っていたことと何か関係があるのでしょうか?

空海は、讃岐国多度郡の少領(郡司)であった佐伯直田公の子であるとされています。

第12代景行天皇のときに、日本武尊が熱田神宮に献上した蝦夷が乱暴なので、播磨・讃岐・伊予・安芸・阿波に住まわせたのが、佐伯部の祖であると日本書紀は伝えています。

この佐伯部を掌握したのが佐伯氏であると言われています。佐伯部の祖は、日本書紀では乱暴者として扱われていますが、おそらく武勇に長けた猛者達だったと思われます。それを掌握した佐伯氏も大伴氏と同じようにヤマト王権で軍事を担った豪族だったに違いありません。

大伴氏と佐伯氏は同族であるという説もありますから、空海が遠祖である天忍日命を西照大権現として祀ったのも納得はできます。

月読尊と海人族

ちなみに、安芸国の佐伯氏は、593年に、神託を受け厳島神社を創建し、神官を務めています。厳島神社といえば、田心姫神(たごりひめ)、湍津姫神(たぎつひめ)、市杵島姫神(いちきしまひめ)の宗像三女神を祀っています。

ちゃぼたつ
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神社由緒に、月読尊は宗像三神の部族を率いて伊予から阿波に移ったと書かれていました。佐伯氏である空海にかかわりのある西照神社が月読尊を祀っており、同じく佐伯氏が創建した厳島神社は宗像三神を祀っています。その関わりの探ってみましょう。

西照神社の祭神の月読尊を祀る神社は、数多くありますが、もっとも格式が高いと考えられるのが、長崎県壱岐市にある月読神社です。壱岐の月読神社は延喜式神名帳で名神大とされ、特に重要な神社とされています。

壱岐の月読神社も鬱蒼と巨木が茂る森の中に静かに鎮座していました。壱岐といえば、魏志倭人伝においても「南北市糴」と記されているように、海上交通の要所です。おそらく、海人族が支配していたと考えられます。

西照神社由緒の「月読尊が宗像三女神を率いて伊予から阿波に入った」とは、九州地方の海人族の進出を意味しているのではないでしょうか?

ヤマト王権以前に、海人族は、現在の中部地方や関東地方に進出し、それぞれクニを形成していたと考えられます。海洋豪族で、福岡県志賀島を本拠地としていた阿曇氏は、各地に進出しており、長野県の安曇野や静岡県の熱海なども阿曇を語源としているといわれています。日本武尊は、それらの国を征討したのです。

日本書紀は、播磨・讃岐・伊予・安芸・阿波は、日本武尊によって連れてこられた蝦夷たちの希望でその地に送られたと伝えています。播磨・讃岐・伊予・安芸・阿波を選んだのは偶然ではなく、播磨・讃岐・伊予・安芸・阿波の地方豪族として居住していた海神族を頼ったとも考えられます。

ちゃぼたつ
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西照神社の神社由緒は、ヤマト王権以前の海神族の進出を示しているのかもしれませんね。あくまで、妄想ですが・・・。

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