東京都府中市に7世紀の中ごろに築造された武蔵府中熊野神社古墳がある。築造当時の姿に復元された古墳は、まさに要塞!近未来を思わせるその姿に迫る。
武蔵府中熊野神社古墳は、東京都府中市のJR西府駅から10分ほど歩いたところにある。住宅街の路地の「七曜文鞘尻金具」「上円下方墳」といった古墳に関する絵に導かれて進むと、鳥居が見えてくる。
境内に立てられていた石碑に熊野神社の由緒が書かれていた。創建は江戸初期か・・・。結構新しいな。古墳については何も書かれていないなあ・・・と思いつつ社殿の裏を除くと・・・。
上円下方墳は全国に5例しかないらしい。
葺石で覆われたその姿は、まるで要塞!。
古墳の周りをぐるりと一周してみる。社殿の反対側にも鳥居があった。このアングルから見ると、さらに異様さが際立つ!1300年前の飛鳥時代の人々は、どんな思いでこの古墳を見ていたのだろう・・・。
武蔵府中熊野神社古墳のある地域は、「府中」というだけあって、奈良時代の初めから平安時代の中頃にかけて、武蔵国を治めた役所が置かれた地域である。府中市内では、高倉古墳群など、6世紀から7世紀にかけて多くの古墳が造られた。その終末期ともいえる7世紀の中頃に熊野神社古墳は作られている。それは、国府成立の直前にあたる。国府成立にかかわりの深い人物が被葬者であることは間違いない。
古墳の形状や副葬品からかなりの有力豪族であったことがうかがえる。飛鳥時代には、近畿地方で、仏教の伝来とともに、大陸の影響を受けた文化が栄える。武蔵熊野神社古墳もその影響を大きく受けていると言えるであろう。被葬者は、東国の有力者であることは間違いないであろうが、果たしてどのような人物だったのか?そう簡単に、古代史の謎は解けないものだ・・・。
参考:パンフレット「武蔵府中熊野神社古墳」