【古墳を行く!】まるで要塞!1300年前の近未来???武蔵府中熊野神社古墳(東京都府中市)

全国古墳探訪
ちゃぼたつ
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東京都府中市に7世紀の中ごろに築造された武蔵府中熊野神社古墳がある。築造当時の姿に復元された古墳は、まさに要塞!近未来を思わせるその姿に迫る。

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武蔵府中熊野神社古墳は、東京都府中市のJR西府駅から10分ほど歩いたところにある。住宅街の路地の「七曜文鞘尻金具」「上円下方墳」といった古墳に関する絵に導かれて進むと、鳥居が見えてくる。

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境内に立てられていた石碑に熊野神社の由緒が書かれていた。創建は江戸初期か・・・。結構新しいな。古墳については何も書かれていないなあ・・・と思いつつ社殿の裏を除くと・・・。

本古墳は、7世紀中頃の飛鳥時代に築造された、上が丸く、下が四角い上円下方墳です。古代の中国では、天はドームのような半球形で、大地は四角いものと信じられていました。この考えを「天円地方」といいますが、このような宇宙観や思想を背景として築造されたと考えられています。(現地説明板)

 

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上円下方墳は全国に5例しかないらしい。

葺石で覆われたその姿は、まるで要塞!。

墳丘の規模は、3段目の上円部の直径約16m、2段目の下方部の一辺約23m、1段目の下方部の一辺約32mを測ります。墳丘の高さは、3段目の墳頂で約6mあります。墳丘全体の中心は、石室の一番奥の部屋(玄室)の中心に合わせるように設計されていました。(現地説明板)

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古墳の周りをぐるりと一周してみる。社殿の反対側にも鳥居があった。このアングルから見ると、さらに異様さが際立つ!1300年前の飛鳥時代の人々は、どんな思いでこの古墳を見ていたのだろう・・・。

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武蔵府中熊野神社古墳のある地域は、「府中」というだけあって、奈良時代の初めから平安時代の中頃にかけて、武蔵国を治めた役所が置かれた地域である。府中市内では、高倉古墳群など、6世紀から7世紀にかけて多くの古墳が造られた。その終末期ともいえる7世紀の中頃に熊野神社古墳は作られている。それは、国府成立の直前にあたる。国府成立にかかわりの深い人物が被葬者であることは間違いない。

 

古墳は非常に精巧な技術で造られている。1段目は一辺32mの正方形、2段目は1辺23mの正方形、そして3段目が直径16mの円形と、1段目の1辺のちょうど半分の長さが3段目の直径と同じ長さになっている。さらに2段目の正方形の1辺は、3段目の円形がちょうど収まる正方形の対角線と同じ長さになっている。これらの長さは、1尺が35㎝の高麗尺という単位で設計されたものであると考えられている。また、出土した鞘尻金具は富本銭にもみられる七曜文が銀象嵌で記されている。七曜文も古代中国の思想を表したもので、当時の日本では最新文化として取り入れられたと考えられている。

 

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古墳の形状や副葬品からかなりの有力豪族であったことがうかがえる。飛鳥時代には、近畿地方で、仏教の伝来とともに、大陸の影響を受けた文化が栄える。武蔵熊野神社古墳もその影響を大きく受けていると言えるであろう。被葬者は、東国の有力者であることは間違いないであろうが、果たしてどのような人物だったのか?そう簡単に、古代史の謎は解けないものだ・・・。

 

【古墳を行く!】駅から徒歩30秒!超駅近、お得物件!御嶽塚古墳(東京都府中市)
御嶽塚古墳は、JR南武線西府駅の南改札から、なんと徒歩30秒のところにある。おそらく駅に一番近い古墳だ。

参考:パンフレット「武蔵府中熊野神社古墳」

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