【妄想の阿波古代史】やっぱり!奈良にある二つの阿波神社、祀られている神様は阿波と関係の深いあの神様たち

阿波古代史を妄想する!

阿波神社(斑鳩町阿波)

以前に、「聖徳太子が阿波にいた説」をご紹介しました。

聖徳太子とゆかりの深いお寺といえば真っ先に思い浮かぶのが 法隆寺 です。

その法隆寺の近くに、その名もずばり 阿波神社 という名の神社が鎮座しています。

小さな祠ではありますが、立派な造りをしています。地元で大切に祀られてきたのがよくわかります。

阿波神社は、奈良県生駒郡斑鳩町阿波一丁目にあります。

 阿波一丁目とは・・・なんか怪しいなあ・・・

阿波神社のある辺りは、かつて阿波村と呼ばれていたらしく、「奈良県の地名日本歴史地名体系」は、延久2年(1070年)の興福寺雑役免帳の記述から、古代の大和国平群郡飽波郷(あくなみごう)に属しており、阿波は飽波の略だと解説しています。

しかし、阿波村と隣接していた安堵村(現在の生駒郡安堵町)には、聖徳太子の創建と伝わる安堵村総鎮守の飽波神社という飽波の名の付く神社が現在も鎮座しています。

 飽波の名が現在でも残っているのに、それを略して阿波とはちょっと変だな・・・阿波という地名が存在していたと考える方が自然だ・・・

さて、この阿波の地に祀られている神様は誰かというと、なんと スサノオノミコト なのです。

 スサノオノミコトは、阿波とかなり深い関係にある神様だ!

阿波の玄関口である「眉山」と阿波の霊峰「剣山」の山頂には、いずれもスサノオノミコトが祀られています。

さきほどの聖徳太子ゆかりの飽波神社ですが、「奈良歴史文化資源データベース」に、その由来が掲載されています。聖徳太子が夢で東方に五色の雲がたなびき霊剣が現れたのをみて、スサノオノミコトが牛頭大王となって顕現したと思い、飽波宮に牛頭大王の祠を建てたのが始まりだそうです。

 聖徳太子、スサノオノミコト、そして阿波の地名・・・阿波とつなげたくなる材料が・・・

思いっきり妄想してみると、スサノオノミコトは阿波の祖神であり、阿波から進出した一族がこの地に祖神であるスサノオノミコトを祀ったというトンデモ説も成り立たないわけではありません。もしかして聖徳太子も・・・なんていう妄想も膨らみます。

率川阿波神社(奈良市本子守町)

率川阿波神社(いさかわあわじんじゃ)は、927年にまとめられた延喜式神名帳にも記載されている由緒ある神社です。

JR奈良駅のすぐ近く、奈良市の中心地ともいえる場所に 率川神社 という神社があります。率川神社も延喜式神名帳に「率川坐大神御子神社三座」と記載された神社です。三つの本殿を有する立派な神社です。

率川阿波神社は、その境内に鎮座しています。

三つの祠が並んでいますが、中央の祠が率川阿波神社で、右側が春日神社、左側が住吉神社です。

この率川阿波神社は、もともとは、率川神社の南側を流れていた率川を挟んで東南の地に鎮座していたものを率川神社の境内に遷したとされています。

率川阿波神社の社殿によると、宝亀2年(771年)に藤原是公(これきみ)が、夢のお告げにより阿波国より勧請したとされています。

 阿波国より勧請した!はっきり記されていて気持ちがいい!

その夢の内容は次のようなものです。

私は狭井御子神である。汝の氏神であるタケミカヅチとともに阿波国に住んでいる。タケミカヅチが三笠山に出向いたので、次は私、率川辺りに住みたいな。

率川阿波神社の祭神は 事代主神(ことしろぬし) です。つまり、藤原是公の夢に現れ、阿波から勧請されたのは事代主神だったのです。

 やっぱり事代主神は、阿波神だったんだ!

阿波国の阿波郡には、延喜式神名帳に記された「建布都神社」と「事代主神社」があります。

この夢のお告げでは、事代主神は、自らを 狭井御子神 だと称しています。狭井大神は、奈良県桜井市の大神神社(おおみわじんじゃ)の主祭神である大物主神(おおものぬし)の別名です。

藤原是公の夢に現れた事代主神は自らを「大物主神の御子である」と名乗っているのです。事代主神は古事記の国譲りの場面で、大国主命の子として登場しますので、「大物主神=大国主命」ということになります。

 ということは、大物主神も大国主命も阿波神?

率川神社の祭神が怪しい・・・

さて、率川阿波神社のある率川神社ですが、こちらも由緒は古く、率川神社のHPには、593年に大三輪君白堤が推古天皇の勅命により、媛蹈韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)を祀ったのが始まりとされています。媛蹈韛五十鈴姫命は、神武天皇の皇后です。

率川神社の社殿の中央に、左側には父神である狭井大神、右側には母神である玉櫛姫が祀られています。両親が子を守るように祀られていることから子守明神として信仰されているそうです。率川神社が鎮座している地名も本子守町です。

日本書紀では、媛蹈韛五十鈴姫命の母神の玉櫛姫の父神が事代主神と記されています。

 それで、率川阿波神社がここに遷されたのか?

鎌倉時代の「元要記」は、率川神社の中宮には開化天皇が祀られているとしています。そもそも、率川神社の社名は、第9代開化天皇の宮とされる春日率川宮に由来していると考えられます。そして、春日率川宮は現在の率川神社周辺にあったとされ、率川神社は開化天皇鎮守のための古社ではないかという説があります。

率川神社の近くには、開化天皇の陵墓の春日率川坂上陵に比定される念仏寺山古墳もあります。

この第9代開化天皇も阿波と関係のある人物なのです。

開化天皇の皇后は伊香色謎命(いかがしこめのみこと)といいます。その母の名が高屋阿波良姫というのです。そして、兄は物部氏の祖とされる伊香色雄命で、阿波には、伊香色雄命と伊香色謎命を祀る延喜式内社の伊加加志神社があります。

この伊香色雄命は、第10代崇神天皇のときに大臣となり、なんと大物主神を祀る神班物者(かみのものあかつひと)に任じられています。

 伊香色雄命も阿波出身で、阿波神の大物主神を祀ることを命じられたのか?

まとめ

斑鳩町の阿波神社にはスサノオノミコトが祀られていて、日本書紀によると、スサノオノミコトと奇稲田姫との間に大国主命が産まれています。大国主命の子が事代主神で、事代主神は阿波から勧請されて率川阿波神社に祀られていて、事代主神の孫にあたる媛蹈韛五十鈴姫命は、率川神社に祀られています。

そしてその率川神社のある場所はかつての開化天皇の春日率川宮で、開化天皇の皇后の伊香色謎命は阿波出身の可能性があります。

奈良にある二つの阿波神社の周辺を探ってみると、阿波と関係の深い人物が次々と登場してきます。

これは・・・妄想がとまりません。

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