【古代史資料倉庫】「阿波志」記載の杉尾祠について(その2)

古代史資料倉庫

阿波古代史で重要な神社といえば、延喜式内社天石門別八倉比賣神社です。祭神が、八倉比賣神ではなく、天照大神の別名とされる大日孁尊なので、高天原阿波説や邪馬台国阿波説の根拠にもなっています。しかし、江戸時代は杉尾大明神と呼ばれており、現社名になったのは明治3年です。杉尾山にあるからそう呼ばれているのだと思っていました。

同じく葦原中国阿波説の根拠にもなっている延喜式内社勝占神社も、江戸時代は、杉尾大明神と呼ばれており、現社名になったのは明治5年です。

この杉尾と名の付く神社は、調べてみると阿波国のあちこちに存在しており、何やら妄想の種になりそうなので、「阿波志」をもとに調べてみることにしました。

その2では、「阿波志」記載の麻植郡、名東郡、名西郡、勝浦郡、那賀郡、海部郡の杉尾祠について考察しています。

天水沼間比古天水塞比賣祠 二座一祠延喜式亦爲小祀在牛島高白里隣名西郡高原村關里今穪杉尾恐是朝野群載名天河別神舊事記云大巳貴尊娶高志沼河姫生徤御名方命

☆「寛保御改神社帳」に、「牛島村杉尾大明神」とある。「徳島県神社誌」記載の鴨島町牛島字杉尾にある杉尾神社で、祭神が天水沼間比古と天水塞比賣であることから、「阿波志」は、延喜式内社の天水沼間比古天水塞比賣祠であると記載している。社宝の麻笥が二つあり、一つには天水沼、もう一つは天水塞と記されていると「徳島県神社誌」に祭神について書かれている。

杉尾祠 在喜來村乘島或穪春日又有弱宮此地舊有日吉堂原二祠洪水漂去

☆「寛保御改神社帳」には記載なし。「麻植郡誌」に、喜来村の村社として杉尾神社の記載があり、大己貴命を祀るとある。「徳島県神社誌」記載の鴨島町喜来字乗島にある杉尾神社で大己貴命、事代主命、厳島媛命を祭神としている。

麻植郡の杉尾祠は2社、1社は、大己貴命、1社は天水沼間比古と天水塞比賣。

杉尾祠 在黑田東村一穪影指宮俗傳昔有大杉其影至數里後洪水漂去平義廣嘗軍此以討源義賢又有八幡祠在小塚里

☆「寛保御改神社帳」に、「東黒田村杉尾大明神」とある。「徳島県神社誌」記載の国府町東黒田字榎島にある杉尾神社で、底筒男命、中筒男命、表筒男命となっている。境内に大杉あり、その影が数里先まで伸びていたことから「影刺宮」とも呼ばれていた。

名東郡の杉尾祠は1社で、祭神は、底筒男命、中筒男命、表筒男命

天石門別八倉比賣祠 延喜式爲大祀月次新嘗並祀在矢野神山今穪杉尾昔者在東嶺今移南麓々有大泉小泉各有祠又有地呼天石門及神田者續日本後紀〇和八年八月戊午授從五位下三代實録觀七年二月二十七日己卯授從四位下十三年二月二十六日壬寅授從四位上十六年三月十四日癸酉授正四位下元慶三年六月二十三日壬午授正四位上

☆「寛保御改神社帳」に、「矢野村正一位杉尾大明神」とある。「徳島県神社誌」記載の国府町矢野にある天石門別八倉比賣神社である。祭神は大日孁尊。明治3年に現在の社号に改めた。

御嶽祠 在鬼籠野村又有/明神祠杉尾祠

☆「寛保御改神社帳」に、「鬼籠野村市ノ坂杉尾大明神」とある。「名西郡志」には建御名方命を祀るとある。「徳島県神社誌」記載の神山町鬼籠野字之坂にある杉尾神社で、祭神は、こちらも建御名方命となっている。

名西郡の杉尾祠は2社で、1社は大日孁尊、1社は、建御名方命である。 

勝占祠 延喜式爲小祀在西塚村神路山上四百歩許喬木蓊鬱今穪杉尾叙正一位南足有祠曰松熊係宦造北足有金比羅祠嘗命移之于城府其址今石馬存神田七町五段餘 仁和親王嘗捐之有古鏡一靣秘而不出木獸二基紀教能所捐又有鼓身用香木大和人某所捐云熊山東南田呼鳥居者其大門之址也  

☆「寛保御改神社帳」に、「西須賀村式杉尾大明神」とある。「阿波志」には、「西塚村神路山に在り」とある。天石門別八倉比賣神社の「矢野神山に在り」と似ている。「勝浦郡志」では、祭神は、大己貴命、事代主命、須勢理姫命、玉櫛姫命となっている。「徳島県神社誌」記載の現在の徳島市勝占町にある勝占神社で、大己貴命、事代主命、須勢理姫命、玉櫛姫命 少彦名命が祭神となっている。

杉尾祠 在大松村 

☆「寛保御改神社帳」に、「大松村杉尾大明神」とある。「勝浦郡志」では、祭神は、大己貴命、事代主命となっている。「徳島県神社誌」記載の現在の大松町宮ノ本にある杉尾神社で、祭神は、「勝浦郡志」と同じ。

杉尾祠 在飯谷村松樹高茂又有高良祠在河原山麓稼山祠在沖野八幡祠在谷口  

☆「寛保御改神社帳」に、「飯谷村杉尾大明神」とある。「勝浦郡志」では祭神は、大己貴命である。「徳島県神社誌」記載の現在の飯谷町杉尾にある杉尾神社で、祭神は、「勝浦郡志」と同じ。

田野村杉尾大明神 「阿波志」記載なし

☆「阿波志」に記載はないが、「寛保御改神社帳」に、「田野村杉尾大明神」とある。「勝浦郡志」に、「八坂神社が杉尾山に鎮座し、祭神は須佐之男尊である。」との記述があり、「寛保御改神社帳」の田野村の項には、「杉尾大明神」と「牛頭天王」が列記されていることから、杉尾山に杉尾祠もあったと考えられる。「徳島県神社誌」には、小松島市田野町鳥居元に天王社があり、素戔嗚命、大己貴命、稲田姫命を祭神としていることから、「寛保御改神社帳」の杉尾大明神は大己貴命を祀っていたと推測できる。

森村杉尾大明神 「阿波志」記載なし

☆「阿波志」に記載はないが、「寛保御改神社帳」に、「森村杉尾大明神」とある。「勝浦郡志」に森村自体の記載はなく、全く不明。

勝浦郡の杉尾祠は5社で、1社は、大己貴命、事代主命、須勢理姫命、玉櫛姫命 少彦名命。1社は、大己貴命、事代主命。2社は大己貴命。1社は不明。不明の1社を除くすべての杉尾神社で大己貴命を祀っている。

八幡祠 在八幡村穪大宮新莊十村共祭神應寺管之又有杉尾祠

☆「徳島県神社誌」記載の現在の阿南市那賀川町八幡字柳本にある杉尾神社で、祭神は、大己貴命。古老の口伝によると、勝浦郡勝占神社の元社であるという。

八幡祠 在櫛渕村一山南麓源義則置祭日奏大平樂爲騎射又有椙尾祠在二山秋元盛貞置諏訪祠二在三山下者盛貞置上者義則置菅廟在四山額祠在五山天滿祠在東谷喬木頗多

☆「寛保御改神社帳」に、記載なし。八幡祠は、現在の小松島市櫛淵町にある櫛淵八幡神社である。近辺に諏訪神社があり、その場所が「阿波志」のいう三山下という地名であると思われるが椙尾祠のある二山という地名は不明。「櫛淵町史」に「杉尾神社(久枝大栗家上)氏子三戸」という記載があり、これかもしれない。

二宮 在天神山東條氏置王子祠在岡本蝶鳥杉尾二祠在浦内若一杉尾二祠在川西紅梅祠在中野 

☆「寛保御改神社帳」に、「桑野村帳取権現」「桑野村杉尾権現」「桑野村若一王子権現」とある。「桑野村帳取権現」は、「徳島県神社誌」記載の現在の阿南市桑野町西谷にある羽落神社で、祭神は、天牟良雲命である。すぐ近くに、「杉尾神社羽落神社」の2社の扁額が掛かった祠がある。これが「桑野村杉尾権現」であると思われる。祭神は不明。「桑野村若一王子権現」は、「徳島市神社誌」記載の現在の阿南市桑野町大谷にある若市神社で、祭神は、天明玉命である。「徳島県神社誌」をみると、現在も桑野町字車の口に杉尾神社があり、若一神社の飛地境内社となっている。これが、「阿波志」記載の杉尾祠である。「阿波志」の「蝶鳥杉尾二祠」を「蝶鳥と杉尾の二祠」と解釈すれば、この地区の杉尾祠は2社ということになる。杉尾神社の祭神は不明。

八幡祠 在荒田野北村蝦川里又有天滿宮亦在蝦川大歳祠三村共祀浮島祠在川叉牛頭祠在信定杉尾祠二一在岡端一在重友愛宕祠在平等寺星祠在安行八幡祠在清定名

☆「阿波志」には、杉尾祠は2社あって、1社は岡端、1社は重友にあると記されている。「寛保御改神社帳」には、「北荒田野村杉尾大明神」と1社のみ記載されている。「新野町史」に「重友鎮座杉尾神社」の記載があり、祭神は、大名持命、すなわち大己貴命である。明治3年に杉尾大明神から杉尾神社に改称した。おそらくこれが「寛保御改神社帳」にある「北荒田野村杉尾大明神」であると考える。もう一つの岡端にある杉尾祠であるが「徳島県神社誌」にも記載はない。現在の新野町岡ノ端にも杉尾神社はない。

杉尾祠 在椿地村又有總藏祠嚴島祠星御門祠王子祠牛頭祠杉尾祠天滿宮住吉祠

☆「寛保御改神社帳」に、「椿地村二宮杉尾大明神」とある。椿地村は現在の阿南市福井町で、阿南市福井町山ノ下に杉尾神社がある。「福井村志」には、村社杉尾神社として記載があり、祭神は、大己貴命であると記されている。「阿波志」には、椿地村に2社の杉尾祠があるように記載されているが、後に記されいる杉尾祠については不明。

杉尾祠 在䕃谷村

☆「寛保御改神社帳」に、「蔭谷村杉尾大明神」とある。「徳島県神社誌」に記載はないが、「相生町誌」記載の杉尾神社が、現在も蔭谷字岡に杉尾神社がある。「相生町誌」によると祭神は、大己貴命である。

※横石村杉尾大明神 「阿波志」に記載なし。

☆「阿波志」に記載はないが、「寛保御改神社帳」に、「横石村杉尾大明神」とある。「徳島県神社誌」記載の現在の那賀郡那賀町横石にある杉尾神社である。祭神は、大己貴命となっている。「相生町誌」には、祭神は、大己貴命であると伝えられる。横石地区の氏神で、蔭谷地区とともに当地の開拓神を祀ったのではないかと記されている。

※杉尾神社 「徳島県神社誌」に記載あり。

※「寛保御改神社帳」「阿波志」にも記載はないが、「徳島県神社誌」記載の阿南市長生町西方にある八幡神社の境内社に杉尾神社が記されている。祭神は不明。

那賀郡の杉尾祠は11社、5社が大己貴命。6社が不明。

杉尾祠 在中村正德元年重造又有大將軍祠岬祠

☆「寛保御改神社帳」に、「中村杉尾大明神」とある。「徳島県神社誌」記載の現在の海部郡牟岐町中村杉谷にある杉王神社である。祭神は、大国主命と事代主命である。

御靈祠 在日比原又有岬祠三杉尾祠二

☆「宍喰村誌」に、村社日比原神社の記載があり、日比原神社のある大字日比原には、御霊神一、岬祠三、杉尾祠二があったのを、明治7年第一次神社整理の際に、日比原神社、杉尾神社、大山神社、地神社の4社に合併し、さらに、大正3年第二次神社整理の際に、大字日比原字馳地の杉尾神社(祭神加津良彦命加津良女命)を合祀したとある。つまり、杉尾祠二→杉尾神社→日比原神社と合併されていったことになる。

杉尾祠 在櫛川村安金毘羅木像又有大將軍祠 

☆「寛保御改神社帳」に、「櫛川村杉尾明神」とある。祭神は、大己貴命。「海部郡誌」にある大字中山字宮前の杉尾神社と思われる。現在の海陽町櫛川字宮前の杉尾神社である。

杉尾祠 在富田村寛文八年釋良雅重造又有鎮守祠又有春日祠在吉田慶長十四/年重造又八幡祠三寶祠 

☆「寛保御改神社帳」に、「富田村杉尾大明神」とある。現在の海陽町富田にある杉尾神社である。「海部郡誌」の川西村の村社として、大字富田字ホキロの杉尾神社の記載がある。祭神は、大己貴命、事代主命である。

杉尾祠 在吉野村享禄三年藤原持定重造又有三保祠又有星祠穪星權現此間有川穪星川又有祠祀藤原持定 

☆「寛保御改神社帳」に、「吉野村杉尾大明神」とある。「海部郡誌」の川東村の村社として大字吉野字片山村の杉尾神社の記載がある。祭神は、大己貴命、事代主命とある。「徳島県神社誌」記載の現在の海陽町吉野字片山にある杉尾神社である。

立池祠 在大井村即龍祠穪姫明神林木欝然其中有池長四十歩廣十五歩許土人雩此又有聖祠弱宮杉尾祠岬祠

現在の海陽町大井字家の元にある池姫神社・杉尾神社である。祭神は不明。

八幡祠 在木頭助村又有杉尾祠在蟬谷蛇王祠在中谷齒神祠在蛇王祠後其主一大石也土人云痛齒牙者來謁則有驗又有八幡祠蛭子祠鎮守祠

☆「寛保御改神社帳」に、「木頭上山村助村在蝉谷杉尾大明神」とある。「徳島県神社誌」記載の現在の那賀郡木頭村助字蝉谷の蝉谷神社であると思われる。祭神は、事代主命。

☆白石村杉尾大明神 「阿波志」に記載はない。

☆「阿波志」に記載はないが、「寛保御改神社帳」に、「白石村杉尾大明神」とある。現在の那賀町白石に杉尾神社はない。祭神も不明

海部郡の杉尾祠は8社。3社が大己貴命、事代主命。1社が大己貴命。1社が事代主命。1社が加津良彦命加津良女命。2社が不明。

「阿波志」並びに「寛保御改神社帳」記載の麻植郡、名東郡、名西郡、勝浦郡、那賀郡、海部郡の杉尾祠・杉尾大明神は29社。9社が大己貴命。4社が大己貴命、事代主命。1社は天水沼間比古と天水塞比賣。1社が底筒男命、中筒男命、表筒男命。1社は大日孁尊。1社は、建御名方命。 1社は、大己貴命、事代主命、須勢理姫命、玉櫛姫命 少彦名命。1社が事代主命。1社が加津良彦命加津良女命。9社が不明。

29社のうち14社で大己貴命を祀っている。

「阿波志」並びに「寛保御改神社帳」記載の阿波国の杉尾祠・杉尾大明神は、板野郡3、阿波郡5、美馬郡8、三好郡4、麻植郡2、名東郡1、名西郡2、勝浦郡5、那賀郡11、海部郡8の49社で、そのうちの19社で大己貴命を祀っている。29社は祭神不明。

その1はこちら→

【古代史資料倉庫】「阿波志」記載の杉尾祠について(その1)
阿波古代史で重要な神社で、大日孁尊を祀る延喜式内社天石門別八倉比賣神社や大己貴命を祀る延喜式内社勝占神社は、2社とも江戸時代は、杉尾大明神と呼ばれており、現社名になったのは明治に入ってからです。阿波には、結構な数の杉尾神社があります。何やら妄想の種になりそうなので、調べてみることにしました。
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