なんと!崇神天皇の母の名がつく神社が、阿波にしかなかった!これは捜査せねばなりませぬ。
延喜式内社「伊加加志神社」を行く!
伊加加志神社は徳島県吉野川市川島町桑村1635にあります。
階段を上っていくと、趣のある鳥居があります。
伊加々志神社は、山を少し上ったところにあるため、振り返ると吉野川平野が一望できます。
伊香色雄命・伊香色謎命について
伊香色雄命は、第8代孝元天皇のときに大臣を務めていた父の大綜麻杵命(おおへそき)の跡を継いで、第9代開化天皇のときに大臣となり、次の第10代崇神天皇のときも大臣を務めています。母は、高屋阿波良姫で、姉に伊香色謎命がいます。
姉の伊香色謎命は、第8代孝元天皇の妃となり皇子を産んだ後、驚くことに、次の第9代開化天皇の皇后となり、後の第10代崇神天皇を産んでいます。
若くして孝元天皇の妃となり、孝元天皇の死後、開化天皇の皇后になったのだろう。伊香色謎命は、絶世の美女だったのか?それとも政治的意図が働いたか?
伊香色雄命の父の大綜麻杵命は、第8代孝元天皇のときに大祢から大臣に昇位しています。大綜麻杵命の姉の鬱色謎命(うつしこめのみこと)は、第8代孝元天皇の皇后となり、後の第9代開化天皇を産んでいます。
なるほど、大綜麻杵命は、姉が孝元皇后となったことで大臣に昇位し、娘の伊香色謎命を天皇の妃とすることにも成功したのだろう。天皇の外戚となった大綜麻杵命は、ヤマト王権内で大きな権力をもち、その跡を継いだ伊香色雄命は2代の天皇にのもとで大臣を務め、ヤマト王権内での地位を確固たるものにしていったんだな。
伊香色雄命、石上神宮を創建する
物部氏の祖で、饒速日尊の子の宇摩志麻治命は、初代神武天皇のときに食国の大夫(大臣)となり,宮殿内の儀式では盾矛を立てたとあります。同様に、その5世孫の伊香色雄命は、第10代崇神天皇のときに、天つ神、国つ神の社を定め、宇陀の墨坂神(大和国宇陀郡)に赤色の盾矛を祭り、大坂神(大和国葛城郡)に黒色の盾矛を祭っています。
奈良県石上神宮
物部氏は、代々、祭祀において奉幣の品を作ってきた集団でもあります。伊香色雄命は3世紀頃に活躍したと考えられるので、祭祀に使用する銅剣や銅矛などの青銅器も扱っていたことでしょう。そう考えると、金属製錬集団としての物部氏の一面も見えてきます。。伊香色雄命は、国つ神の社を定める際に、一族の氏神である布都大神の社を大和国山辺郡石上邑に遷して建てました。これが、奈良県にある石上神宮です。布都大神は、布都御魂とよばれる霊剣のことで、国譲りにおいて建御雷神が葦原中国を平定した剣であり、神武東征においては、神武天皇の危機を救い勝利に導いた剣です。布都大神は、金属製錬集団としての物部一族を象徴する神だといえます。
物部氏は、饒速日命6世孫伊香色雄命の子の物部大新川命のときに、第11代垂仁天皇より姓を賜り、物部連となります。9世紀に書かれた新撰姓氏録(815年編纂)にある物部氏系譜の氏族の多くが伊香色男命を祖としています。系譜によって自らの正当性や存在感を示すのであれば、天孫の饒速日命や初代神武天皇の重臣であった宇摩志麻治命を祖とした方が受けが良いと思われます。にもかかわらず、そうしなかったのは、氏姓制度のもとでは、血縁よりも物部連という職能集団を一族として認識していたからだと考えられます。つまり、金属製錬を特技とする祭祀集団としてヤマト王権内での地位を確固たるものとし、一族の総氏神である石上神宮を建立した伊香色男命を一族の祖として約600年間伝えてきたのです。物部氏における伊香色雄命の重要性がみてとれます。
古事記にみえる伊香色雄命
日本書紀にみえる伊香色雄命
先代旧事本紀にみえる伊香色雄命
伊香色雄命は、崇神天皇の側近として活躍した。しかもその役割は、金属製の武器を扱う祭祀集団としての性格をもっていたということになる。その伊香色雄命を祀る神社がなぜ阿波にあるのか?
伊香色雄命と阿波国のかかわりを妄想する
延喜式神名帳に伊加加志の名を冠する神社が阿波国にしかありません。さらに、先代旧事本紀では、伊香色謎命、伊香色雄命を大綜麻杵の子で、母を高屋阿波良姫と記しています。
もう、阿波と関係がないはずがない!伊香色謎命、伊香色雄命は阿波で育ったのでは?
伊加々志神社の約3kmほど西へ行ったところに、山崎八幡神社があります。その境内に、伊加加志神社があり、ここが延喜式式内社ではないかという説もあります。
山崎八幡神社の境内にある伊加加志神社
標柱をよく見てみると、式内社の横に忌部摂社と書かれている。物部氏の実質上の祖である伊香色雄命の名がつく神社が、なぜ忌部神社の摂社になっているのか?
伊加々志神社の北には、善入寺島という吉野川にできた中州があり、古くは粟島と呼ばれていました。粟島は阿波忌部が開拓したといわれています。伊加々志神社のある山は忌部山といわれ、6世紀頃に造られた忌部氏の古墳が点在しています。この辺り一帯は、阿波忌部氏の本拠地なのです。
伊香色雄命と伊香色謎命の母の高屋阿波良姫は、忌部一族ではないのか?
まとめ
今回の調査をもとに推理してみると・・・。
延喜式式内社の伊加々志神社に祀られている伊香色謎命は第9代開化天皇の皇后となり、弟の伊香色雄命は、第10代崇神天皇のもとで大臣としての手腕を振るった。伊香色雄命は、物部氏の氏神である石上神宮を創建したことで、後世の多くの物部一族からその祖とされ崇敬されるようになる。2人の母は高屋阿波良姫で、阿波忌部一族であったと考えられる。そう考えると、この地に延喜式内社伊加加志神社が忌部摂社となっていることも納得できる。
伊香色謎命が生んだ御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりびこいにえのすめらみこと)が、第10代崇神天皇となる。そして、皇后は、御間城姫という。二人に同じ「御間城」という名があることから、「御間城」は地名で、崇神天皇は、母である伊香色謎命の出身地である麻植郡から妻と共に美馬郡に入ったので、2人の名に「御間城」がついたというトンデモ説もあるくらいだ。本当だとすると、初期ヤマト王権は、阿波にあったことにある。いくらなんでもそれはないと思うが・・・。
そう簡単には、古代史の謎は解けないものだ。