三好郡東みよし町足代に、弥生時代の終末期に築造されたとされる前方後円形の積石塚が残されています。
前方後円形の積石塚・・・。珍しい・・・。
民家の横をすり抜けた田んぼの真ん中に残されています。
足代東原遺跡は、弥生時代後期から終末期(約1800年ほど前)に形成された積石塚墓群である。東西180mの範囲に、前方後円形の積石墓を中心に35基以上の円形積石墓から構成される。前方後円形の積石墓は、全長16.5m、円丘部の復元径は11m、突出部の幅4m、長さ5.5mで、埋葬施設は未調査のため不明である。円丘部と突出部の連結部分には大量の土器が供えられており、土器の特徴から弥生時代終末期の築造と考えられる。円形の積石墓は、直径1.2m程度のものと、2.5m前後のものに大別される。砂岩礫を積んで高さ60cm程度の円錐状にしたものである。多量の壊された土器で覆われ、石鏃などの石器を伴う場合や人頭大の石を頂部に立てる場合もある。また、葬送儀礼に関係するとみられる土器溜まりがあり、猿形や猪形の土製品も出土している。積石の集団墓を形成する希少な例であり、学術上貴重な遺跡である。-徳島県教育員会・東みよし町教育委員会-
柵で囲まれた中に入ると正面に、前方後円形積石塚の突出部が見えます。
後円部はこんな感じで石が積まれています。
高さは50cmくらいになるのかなあ。思ったよりも低い・・・。
突出部と円丘部では、明らかに積まれている石の大きさが違います。円丘部の頂上に祠のような石積みがありますが、これは明らかに後世に積まれたもののようです。
埋葬施設は不明ですが、おそらく箱式石棺があるのではないかと推測されています。
これ、鳴門市大麻町にある萩原2号墳のような「石囲い木槨」なら相当面白いが、その可能性は低いと考えられているんだな・・・。
円形の積石墓です。同じようなものが36基も発見されています。まさにこの一帯は墓域だったと考えられます。前方後円形の積石墓は、他のものと比べて規模が全く違うので、首長墓だと考えられます。
遺跡から南西に約400m離れた位置に弥生時代の集落遺跡である西原遺跡が発見されいます。
遺跡は標高75~80mの河岸段丘上にあり、吉野川からの高さは約15mもあるので、洪水の心配のない所につくられています。竪穴住居跡が18か所も見つかっています。
おそらく、足代東原遺跡は、この集落に住んでいた人々の墓域ではないかと推察できそうです。
足代東原遺跡から吉野川を挟んで反対側の加茂山の中腹に4世紀に築造されたと考えられている全長約38mの積石塚古墳である丹田古墳があります。
足代東原遺跡と丹田古墳は、築造年代の近い積石塚ですが、立地条件や規模、埋葬施設に大きな違いがあります。この違いは、一族の属性の違いによるものか、同族の階級の違いによるものか興味のあるところです。