【妄想の阿波古代史】いざ!卑弥呼の居所と伝えられる悲願寺へ!

阿波古代史を妄想する!

阿波には、卑弥呼の居所だと伝えられるところがあります。卑弥呼が居たとなると、そこが邪馬台国だということになりますが・・・。それは、四国徳島の山深いところにある「悲願寺」というお寺です。

ちゃぼたつ
ちゃぼたつ

出た!邪馬台国阿波説!これは、捜査せねばなりませぬ。

いざ悲願寺へ!

悲願寺へは、神山町役場から山道に入っていきます。

邪馬台国 卑弥呼の大山城遺跡と言われる高根山域への道しるべ

ちゃぼたつ
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「卑弥呼の大山城遺跡」とは・・・。すごい・・・。

細く薄暗い山道が延々と続きます。ひたすら山道を登ること数十分・・・。「悲願寺」の案内表示がありました。しかし、ここから約3㎞余り続く未舗装の道がなかなかのものでした。

神秘的な雰囲気が漂うパワースポット

高根山悲願寺は、徳島県名西郡神山町神領字高根にあるお寺です。神山町神領という地名が、ここがただならぬ場所であることを示しているようです。

高根悲願寺の縁起

高根悲願寺開基以前は山神社で、巫女が神を祀っていたと古い伝承があり、今も境内に十二神社(伊邪那岐、伊邪那美並びに神代十二神)賢見皇神社(思金神)山神社(大山津見神)山殿合社(産土神と聖天神)別祠に天照大神が祀られている。
高根の呼名について柳田國男氏は「神代の根の國は地下ではなく大和島根富士の高根と同じく、宗家、元所、根所を意味し、出発点、中心点として、本来は統一の力を示すところだったと言っています。そして、南方山中腹にある天禺岩(神の鎮まり坐す磐座)と巫女の祈所である台石とが存在し、本堂の横にある天の眞名井から湧き出す清水の流れを「天の中川」と言っています。
昔、弘法大師が法燈大道場を開設する予定で当山に登られたが、水不便の為に断念されたと伝えられている。其の後、当山の横嶺に狼猿が住み、人を悩ましたので、時の国主守護武官が山の中腹に一宇の草庵を営み、千住観世音、脇侍不動明王、多門天を安置して安穏を祈ったところ、障害は無くなったと伝わっている。
其の後、源家の長者、源満仲公は四男の美女丸の性質が悪いので僧にすべく、家臣藤原仲光(恵心僧都)に託して得度させたが素行が収まらないので、満仲公の怒りに触れ打ち首なるところ、仲光は我子宝寿丸を身代わりとして美女丸を他国に落とした。
其の後、仲光は中山寺の別当職を辞し、美女丸の行方を尋ね諸国を巡脚し、当地に来て図らずも、美女丸が悟りを開き源賢僧都となり、兄の円覚上人と共に高根山で観世音の示現れるを〇り、悲願寺を開基建立して本尊千手観音を祀り行を改めて居るのに出会った。
安堵した恵心僧都は麓の野間名に中山庵を結び、主君や我子宝寿丸の追福を祈りつつ身を終えたと伝えられ、今も其の地を中山と云い、住し所を御坊屋敷と言っている。
美女丸は父満仲を境内祠に祀り(現存す)悲願寺に満仲公の位牌(多田満仲法名覚信尊儀)を納め(後程本寺の長満寺に移し祀る)侍尼圓光を住せしめしより衆生の帰依する所となり、星霜を経て、細川、三好、一宮、諸将の祈願所として崇敬する所となる。
境内には立派な常夜灯が建っています。

常夜塔には、正面に「葆光(ほうこう)」向かって右側に「虚」左側に「空」の額がかかっています。弘法大師が伝え残したもので、常夜塔は高根山中の古代灯台跡より明治初期に境内に移されたといわれています。

卑弥呼の居所なのか?

悲願寺の近くには、神の鎮まり坐す磐座である「天禺岩」、巫女の祈所である台石とが存在します。この台石が卑弥呼の祭壇跡といわれています。悲願寺のある高根は標高700mの高所にありながらなだらかな平地部もたくさんあり、卑弥呼の従者が住むには十分の広さがあります。

天の眞名井からの清水

まとめ

ちゃぼたつ
ちゃぼたつ

今回の捜査から推理してみると・・・。

結論から言うと、卑弥呼については、何も推理できない。神の鎮まり坐す磐座である「天禺岩」、巫女の祈所である台石とが存在していて、かつて巫女が神を祀っていたという伝承だけでは、推理のしようがないのだ。むしろ、「卑弥呼の大山城」という根拠がとても知りたい!

とはいえ、この悲願寺、行きつくのも大変だし、ただならぬ雰囲気がしているし、数々の伝承が残っているし、現地を訪れて、いろいろ妄想するには、最高のミステリースポットだ!としか、今回は言いようがない。そう簡単には、古代史の謎は解けないものだ。

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