延喜式神名帳で「アワ」に関係のありそうな神社を探していると、「伊豆国 賀茂郡 阿波神社 名神大」という神社を見つけました。
「アワノ」と読ませていますが、阿波と何か関係があるのでしょうか?
伊豆・・・静岡県か・・・。なんて思っていると、まさかの東京都!
式内社の阿波神社とされている神社は、伊豆諸島の神津島にありました。
神津島にある現在の阿波命神社が、延喜式内社の阿波神社だとされています。
阿波命神社の祭神は、阿波咩命です。
もうこれは”阿波”そのものじゃないですか!
いやいや、「アワ」という音を当てただけかもしれません。
とにかく、調べてみることにしました。
阿波咩命とは?
続日本後紀に、「上津島、此嶋ニ坐ス阿波神、是三島大社ノ本后也、又坐ス物忌奈乃命、即前社ノ御子也」とあります。
つまり、阿波咩命は、
①三島大社に祀られている神の本后である。
➁物忌奈乃命の母である。
ということがわかります。
三島大社とは、延喜式神名帳に「伊豆国 賀茂郡 伊豆三島神社 名神大」と記された神社で、現在の静岡県三島市にある三島大社とされています。
三島大社の祭神は、三島大神で、大山祇神と積羽八重事代主神の二神の総称とされています。
大山祇神と事代主神・・・。どちらが、阿波咩命の夫神なのでしょう・・・。
神津島役場のホームページをみると、神津島は、昔、事代主神が、伊豆の島々を作るために神々を集めたことが島の名前の由来となっていると書かれています。
事代主神を祀る神社は全国にたくさんありますが、延喜式神名帳で「事代主神」と名の付く神社は、宮中で祀られている他は、大和国に2社と阿波国に2社しかありません。
事代主神も阿波に所縁のある神様です。
阿波の名の付く阿波咩命と阿波に所縁のある事代主神・・・。
いやいや妄想がふくらみます。
ちなみに、事代主神と阿波咩命の子の物忌奈命は、神津島にある、物忌奈神社で祀られています。
物忌奈神社も延喜式神名帳に「伊豆国 賀茂郡 物忌奈神社 名神大」と記された延喜式内社です。
伊豆国賀茂郡には、名神大の延喜式内社が4社もあります。
伊豆三島神社、阿波命神社、物忌奈神社、伊古奈比咩神社です。
伊豆三島神社には事代主神が祀られ、阿波命神社には妻の阿波咩命が、物忌奈神社には御子の物忌奈命が祀られています。いずれも、伊豆諸島の創造神としての社格を誇っています。
もう一神の伊古奈比咩命ですが、この神様も阿波と関係がありそうなのです。
阿波一宮神社と伊古奈比咩命の謎?
日本神名辞典によると、伊古奈比咩命も、三島大神、事代主神の后神で、大山津見の子孫と書かれています。
続日本後紀が阿波咩命をあえて「本后」と記しているところをみると、伊古奈比咩命と阿波咩命は別神であるいえます。
この伊古奈比咩命ですが、なぜか、名東郡一宮村一宮大明神に名があるのです。
神道体系神社編に掲載されている文書の表題に「名東郡一宮村一宮大明神 大宜都比売命 大阿波姫命 伊古名姫命」と書かれているのを見つけました。
この文書ですが、大宜都比売命 大阿波姫命のことは書かれていますが、伊古名姫命については一切触れられていません。しかも、大宜都比売命や大阿波姫命の名は、伊古名姫命より小さく書かれています。解釈の仕方によっては、一宮大明神は伊古名姫命で、大宜都比売命 大阿波姫命とも呼ぶというようにとれなくもありません。
「名東郡一宮村一宮大明神」は、現在の徳島市一宮町にある一宮神社のことです。大宜都比売命と天石門別八倉比売命を祭神としています。
先の「名東郡一宮村一宮大明神 大宜都比売命 大阿波姫命 伊古名姫命」には、大宜都比売命について、粟を作り始めたので大粟姫ともいい、伊予国大三島に鎮座していたが、伊予国丹生之内から神領村へ鎮座し、その後鬼籠野村に鎮座、日本武尊の子の息長別皇子が阿波国造となったときに大宜都比売命を崇敬し、一宮村に鎮座させたと書かれています。
神領村に鎮座したというのは、上一宮大粟神社のことを指していると思われます。
また、大阿波姫が鹿にのって伊予国大三島へ通うときに、女鹿が麻植郡で殺されたので、高越の神と石を投げ合って争ったと記されています。
どちらの話も真偽はともかく、大宜都比売命(大阿波姫)が伊予国大三島と関係があることは共通しています。
伊予国大三島には、大山祇神社があります。社寺縁起伝説辞典によると、大山祇神社の創建には3つの説があると書かれています。
①大山祇神の子孫の乎千命(おちのみこと)が創建した。
➁推古2年(594年)摂津国三島江からこの地に遷された。
③伊豆の三島大社の分霊を勧請した。
これらのことから、伊予国大三島の大山祇神社は、大山祇神を奉斎する一族が、何処かから伊予大三島に住み着いたということが考えられるのです。
仮に、伊豆の三島大社の分霊を勧請したという説をもとにすると、もともとは伊予国大三島に鎮座していた一宮大明神と伊古奈比咩命とのつながりもみえてきます。
徳島県神社誌に載っている上一宮大粟神社の由緒に、大宜都比売命が伊勢国丹生郷から八神の供神を率いて阿波国に移り、国土を経営し、粟を蒔き、この地一帯に広めたとあります。
三重県多気郡多気町丹生には、丹生神社があり、埴山姫命(はにやまひめのみこと)を祀っています。上一宮大粟神社は、一時期、よく似た名の埴生女屋神社(はにめおやかみ)と称していたことがあります。徳島県神社に書かれている伊勢国丹生郷からやってきたということと関係がありそうです。
どうやら、いろいろな伝承が組み合わさって、ものすごく複雑な話になっています。
大宜都比売命は、古事記に「粟國は大宜都比賣と謂う」と書かれた阿波を象徴する神様ですから、もしかすると、それぞれにそれぞれの思惑があって、いろんな伝承が合わさったのかもしれません。
まあ、私の妄想も似たようなものですが・・・。
それはともかく、火のないところに煙は立ちませんから、阿波と伊古奈比咩命に何らかのつながりがあるようには思います。
阿波とのつながりということでいうと、事代主神に関係のある伊豆国の4つの延喜式内社がすべて賀茂郡にあるということです。
事代主神と「カモ」の関係とは?
大三輪神社鎮座次第には、第10代崇神天皇の御世に大田田根子の孫、大賀茂祇命が葛城邑加茂地に事代主命を奉斎したことにより、賀茂君を賜ったことが記されています。
大賀茂祇命が事代主神を奉斎した神社とは、現在、奈良県御所市にある延喜式内社鴨都波神社のことです。
鴨都波神社のウェブサイトには、葛城加茂社(かつらぎかもしゃ)、下津加茂社(しもつかもしゃ)とも称され全国の加茂(鴨)社の根源であると、書かれています。
下津加茂社と呼ばれる訳は、上加茂社と呼ばれる神社が、同じく奈良県御所市にあるからです。上加茂社と呼ばれているのは、高鴨神社です。
高鴨神社の主祭神は、阿遅志貴高日子根命(あじすきたかひこねのみこと)です。
阿遅志貴高日子根命は、古事記によると、大国主命と多紀毘賣命との子で、「今、迦毛大御神と謂う」と記されています。
弥生中期、鴨族の一部はこの丘陵から大和平野の西南端今の御所市に移り、葛城川の岸辺に鴨都波神社をまつって水稲生活をはじめました。また東持田の地に移った一派も葛木御歳神社を中心に、同じく水稲耕作に入りました。そのため一般に本社を上鴨社、御歳神社を中鴨社、鴨都波神社を下鴨社と呼ぶように なりましたが、ともに鴨一族の神社であります。このほか鴨の一族はひろく全国に分布し、その地で鴨族の神を祀りました。
高鴨神社HPより引用
つまり、鴨一族の子孫が全国に進出し、その地を「カモ」と称し、阿遅志貴高日子根命や事代主神を祖神として祀ったということになります。
もちろん、阿波にも「カモ」のつく地名が数多くあります。しかも、かなり古くからそうよばれていたと思われます。
延喜式神名帳に、「阿波国 美馬郡 鴨神社」と記された神社もあります。
事代主神と阿波忌部氏との関係
阿波忌部氏系図(「古代豪族系図集覧」近藤敏喬編)をみると、阿波忌部氏の祖である天日鷲命の兄妹に天津羽羽命(あまつははのみこと)という人物がいて、八重事代主命妻と記されています。
神津島の阿波命神社に祀られている阿波咩命がこの天津羽羽命ではないかと思うのです。
阿波忌部氏は、阿波を開拓した一族で、その一部は、海を越えて房総半島に移り住んだとされています。阿波忌部氏が切り開いた土地は、音が同じ「安房」と呼ばれています。
おそらく、阿波から黒潮に乗って北上した一団の中に忌部一族とともに鴨一族もいたのではないかと思います。北上の途中で、伊豆半島に移り住んだ鴨一族は、伊豆半島および伊豆諸島を開拓し、その祖神である事代主神を奉斎したと考えられるのです。
まとめ
阿波忌部一族とともに、黒潮にのって北上した阿波出身の鴨一族が、移り住んだ神津島で阿波咩命を奉斎したと考えられます。
ヤマト王権の創成期の天皇が大和国葛城に宮を置いていることから、葛城を本拠地としていた鴨一族は、ヤマト王権の経済・軍事の大きな基盤としての役割が想像できます。ヤマト王権の支配が全国に広がるとともに、鴨一族も全国各地に移り住んでいったと思われます。
阿波の各地に「カモ」の地名が残っていることからも、阿波にはヤマト王権の早い時期に、忌部一族とともに鴨一族も入ってきていたと考えられます。
そして、忌部一族とともに、黒潮にのり太平洋を北上し、伊豆半島や伊豆諸島、房総半島と海を渡って行ったのです。
ここで、一つ妄想をかきたてられる疑問が・・・。
大和国といえば今の奈良県です。海なし県を本拠地とする鴨一族が、伊豆諸島を開拓していったというのも少々疑問に思います。
そういえば、迦毛大御神と呼ばれた阿遅志貴高日子根命の母は、多紀理毘賣命です。多紀理毘賣命は、宗像三女神の一人で、海人族が奉斎する神です。ということは、阿遅志貴高日子根命も海人族ということになります。
そもそも、事代主神は海からやってきた神「えびす」として、漁業神として全国各地の神社で祀られています。
鴨一族は、海人族の神様を奉斎しているのです。大和葛城を開拓した鴨一族もまたどこからやってきた海人族でそこに移り住んだのかもしれません。
鴨一族は、ヤマト王権以前に、海を渡って大和葛城を支配していたと考えられますから、神武東征以前ということになります。
例えば、神武東征以前に、海人族である鴨一族が阿波から大和葛城に進出したという妄想も浮かんできます。
何しろ、事代主神を祀る神社は全国にたくさんありますが、延喜式神名帳で「事代主神」と名の付く神社は、宮中で祀られている他は、大和国に2社と阿波国に2社しかないのですから・・・。
もっと妄想すると、多くの阿波古代史研究家の人たちが主張するように、「神武東征は阿波から始まった。」とか「倭国は阿波だった!」という説もあながちトンデモ説ではないような気がします。