927年に編纂された延喜式神名帳に「阿波国 美馬郡 伊射奈美神社(いざなみのかみのやしろ)」と記された神社があります。延喜式神名帳に記された神社は、当時そこに確実に存在し、国から幣帛を受けていた格式のある神社のことです。
古事記や日本書紀において、伊邪那美命(いざなみのみこと)は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)とともに、日本の国を創造した国生みの神様です。
また、この2神からは、多くの神様が生まれています。皇祖神とされる天照大御神(あまてらすおおみかみ)もその一人です。
延喜式神名帳には2861社が記載されていますが、伊邪那美命の名がつく神社は、阿波国美馬郡伊射奈美神社ただ一つです。
延喜式神名帳に記された伊射奈美神社がどこにあったかは、長い年月の間にわからなくなってしまいました。今では、その候補としていくつかの神社があげられています。
伊射奈美神社(舞中島)について
美馬市穴吹町三島舞中島にある伊射奈美神社です。舞中島は、吉野川の中洲です。
国道192号線から明連川を渡って伊射奈美神社へ向かいます。伊射奈美神社の社殿は、南向きに建っていますが、北側からしか行くことができません。
社殿の南側から見ると、2本の大きな木が社殿の前に鳥居のように立ち、荘厳な雰囲気を醸し出しています。
祭神は、伊邪那美命、武甕槌命(たけみかつちのみこと) 経津主命(ふつぬしのみこと) 猿田彦命です。となっている。徳島県神社誌には、明治43年(1910年)に舞中島にあった武田神社 若宮神社 横野神社 大柳神社 稲荷神社 建神社を合祀したと書かれています。
境内に建っている神社由緒をみると、十二社大権現もしくは十二所神社と呼んでいた社名を、昭和になって伊射奈美神社と改めたとあります。
ん~。伊射奈美神社と呼ばれだしたのは昭和になってから・・・。
さらに、尾山十二所神社がそもそもの元宮であると神社由緒には書かれています。ならばということで、尾山にある十二所神社にも行ってみました。
尾山十二所神社は、舞中島が見下ろせる高所にあります。
尾山十二所神社の祭神は、伊弉諾命(いざなぎのみこと)伊弉冉命(いざなみのみこと)国常立命(くにとこたちのみこと)大山祇命(おおやまつみのみこと)月読命(つくよみのみこと)金山彦命(かなやまひこのみこと)です。十二所という名の通り、十二か所の祠を集めて一つの神社となったと思われます。
尾山十二神社の近くには、6世紀後半頃に築造されたと考えられている尾山古墳があります。尾山古墳は直径13m程の円墳と考えられ、横穴式石室が南に開放しています。
眼下に舞中島を見下ろす標高70mのところに位置していることから、おそらく、舞中島を支配地域としていた豪族の墓であると考えられます。そうなると、舞中島の伊射奈美神社は、尾山十二所神社や尾山古墳の遥拝する場所として建てられたとも考えることができます。
伊射奈美神社(中鳥)について
美馬市美馬町字中鳥にも伊射奈美神社と呼ばれる神社があります。中島は吉野川の川中の島で、元は南側と陸続きでしたが、享和年間(1801年-1084年)の大洪水で島となったそうです。
伊射奈美神社は、もともとは、現在地よりもう少し南の島の一番高いところ(写真下の真ん中の島)にありましたが、堤防工事を経て現社殿が建てられたと神社由緒に記されています。
伊射奈美神社の元社地には、中鳥城があり、そこにあった初代城主浅野但馬守の墓も現社地に遷されています。
中鳥にある伊射奈美神社の神紋は十六菊花紋です。ちなみに、兵庫県淡路島にある延喜式内社伊弉諾神宮の神紋も十六菊花紋です。
三代実録に「貞観11年(869年)阿波国正六位上伊佐奈美神従五位下」の記述があります。朝廷から神階を賜っていることから、その後に記された延喜式神名帳にも記載されたと考えられます。
個人的には、舞中島の伊射奈美神社は、昭和になってから十二所神社から伊射奈美神社に改称されていることや中鳥の伊射奈美神社の神紋が十六菊花紋であることから考えると、中鳥の伊射奈美神社の方が延喜式内社のような気がします。
なぜ、阿波国に伊邪那美命が単独で祀られているのか?
もう、ここからは、妄想でしかありません。
紀元前1000年頃に西アジアに古代イスラエル王国というユダヤ人の統一国家が建設されます。ダビデ王とその子ソロモン王の治世に最盛期を迎えますが、ソロモン王の死後、南北に分裂、紀元前722年に北王国が滅亡、紀元前586年には南王国の首都エルサレムが破壊され、人々は国を追われます。
古代イスラエル王国を追われた人々の一部が、日本に辿り着いていたのではないかという説があります。そして、それを物語る痕跡が各地に残っています。
国家を失ったユダヤ人のよりどころは強固な信仰という形であらわれユダヤ教となります。キリスト教はユダヤ教をルーツにしています。
紀元前700年ごろに、古代イスラエル王国の首都エルサレムで活躍した預言者にイザヤという人物がいます。イザヤの預言は旧約聖書の一書であるイザヤ書に記されています。
イザヤは、その後に訪れるエルサレムの荒廃を予言し、「それゆえ、東で主をあがめ、海沿いの国々でイスラエルの神、主の名をあがめよ。(イザヤ書24章15節)」と予言します。
イザヤは「東へ行き、海沿いの国で、イスラエルの神をあがめなさい。」と予言している。
東の海沿いの国・・・。それは、日本・・・。
イザヤの予言を信じて日本までたどり着いた古代イスラエル王国の人々がいたと考えられています。
そして、その人々は、阿波にもたどり着いていました。
美馬市穴吹町には、磐坂神明神社という古代史好きには超有名な神社があります。
伊邪那岐命と伊邪那美命は、「イザヤ」という名がもとになっているのではという説があります。ユダヤ教の唯一神である「ヤハウェ」が、日本全国にある八幡神社の神様「八幡神(ヤハタ)」であるという説もあるくらいです。
兵庫県の淡路島に伊邪那岐命を祀る延喜式内社の伊弉諾神宮があります。
淡路島にもユダヤ人由来の遺跡が残されています。古代イスラエル王国から東へ向かった人々は、黒潮にのって紀伊水道に入り、淡路島に辿り着き、そこから周辺を開拓していったのです。
それが、伊邪那岐命と伊邪那美命の国生み伝説になっと考えられます。古事記の国生み伝説では、淡路島の後に四国が生まれています。淡路島を拠点とした人々は、阿波に渡り、吉野川を遡って、周辺の人々を従えていったのでしょう。
黄泉の国の変わり果てた伊邪那美命から逃れた伊邪那岐命は「筑紫の日向の橘の小門」で汚れをはらうために禊祓いをします。その時に生まれたのが天照大神、月読命、須佐之男命です。
「筑紫の日向の橘の小門」で禊祓いを終えた伊邪那岐命は、日本書紀では、淡路に幽宮をつくって隠れたとあります。それが、延喜式内社の淡路伊佐奈岐神社、現在の伊弉諾神宮だと言われています。伊弉諾神宮の神紋は、中鳥の伊射波神社の神紋と同じ16菊花紋です。
ちなみに、古代イスラエル王国の首都エルサレムのヘロデ門には、16菊花紋とよく似た紋章が刻まれています。
伊邪那岐命が亡くなった地で、人々が伊邪那岐命を祀ったとすれば、同じように、伊射奈美神社のある場所は、伊邪那美命が亡くなった地だと考えられます。つまり、延喜式内社でただ一社だけ伊邪那美命の名を冠する神社が阿波にあるのは、そこが伊邪那美命が亡くなった地であるからです。
まとめ
今回、阿波の延喜式内社の伊射奈美神社とされている二つの伊射奈美神社を訪ねていろいろと妄想してみました。
伊射奈美神社のある美馬市辺りは、阿波の古代史を考えるうえで、非常に興味深い地域です。