丈領古墳とは?
徳島市丈六町丈領にある丈六寺は、白鳳時代(645年~710年)頃の創建と伝えられています。徳島県最古の禅寺で、阿波の法隆寺とも呼ばれています。
その境内に、緑泥片岩を組み合わせた箱式石棺があります。
「丈領古墳出土石棺」と書かれた箱式石棺は、丈六寺の裏山で発見されて、ここに移築保存されました。丈六寺の裏山一帯からは、徳島県出身の民俗学者である鳥居龍蔵氏らが、同じような組合式箱式石棺をいくつか発見しています。
丈領古墳は、昭和45年に発見され、石棺内から直径18.5cmの変形五獣鏡と直径12.7cmの変形四獣鏡が出土しました。また、石棺内は赤色顔料が一面に塗られていたそうです。写真からは、赤色顔料の跡と思われる色味づいた部分も見て取れます。
丈領古墳の発見された一帯は、大規模な宅地開発によってその原型をとどめていません。
阿波式箱式石棺論争!
徳島県東部で数多く発見された緑泥片岩を用いた組合式箱式石棺を徳島県の考古学者の笠井新也氏は、「阿波式石棺」と名付けました。これに対して、同じく徳島県の歴史学者である喜田貞吉氏は、箱式石棺に底がないことから、石棺ではなく墓壙であると反論して論争となったそうです。
確かに移築された丈領古墳の箱式石棺の内部を見てみてると、確かに底がありません。囲っているだけに見えます。しかし、板石と板石のつなぎ目は、先端部分をL字型カットして組み合わせているなど、丁寧に造られています。
丁寧に板石で囲って蓋をして埋葬しているので、石棺と呼んでもいいような気がします。
丈領古墳周辺の古墳
丈領古墳のあった勝浦川河口やその北側の園瀬川河口付近の丘陵地はかつて海に面していました。徳島県東部の海に面していたと思われる地域からは数多くの緑泥片岩を組み合わせた箱式石棺が出土しています。
平成23年には、園瀬川沿いの犬山天神山古墳の箱式石棺から赤色顔料である水銀朱で塗られた女性の人骨が発見されました。発掘調査の結果、5世紀後半の50代の女性首長ではないかと推察されています。
丈領古墳から西へ約1㎞のところに、徳島県下最大の前方後円墳である渋野丸山古墳があります。渋野丸山古墳は、5世紀中頃の築造とされています。
まとめ
丈領古墳は、おそらく5世紀中頃から後半にかけて、この地域に盛んに造られた箱式石棺を用いた古墳の一つだと考えられます。
県内最大の前方後円墳である渋野丸山古墳と同時期か少し遅れて、海に面した丘陵上に丈領古墳や犬山天神山古墳など、箱式石棺を用いた古墳が数多く造られたのです。
丈領古墳や犬山天神山古墳の被葬者と渋野丸山古墳の被葬者との関係も気なるところです。
ちなみに、丈六寺から約1.5kmのところに、延喜式内社の勝占神社があります。勝占神社は大己貴命で、境内案内板には、「この地域一帯は、出雲系海人族が支配し、その大祖神である大己貴命を祀った。」と書かれています。
参考文献「徳島県の歴史散歩」「日本の古代遺跡37徳島」「遺跡ウォーカー(Webページ)」