阿波国一の宮の「大麻比古神社」の奥宮が、大麻比古神社の背後の大麻山の山頂にあります。その名を「弥山神社(みやまじんじゃ)」と言います。
「弥山」とは、神が宿る山とされ、大麻比古神社の背後にそびえる標高538mの大麻山のことを地元の人は、弥山とも呼んでいます。
弥山神社は、大麻比古神社の奥宮とされ、峯神社とも呼ばれています。
いざ、大麻山登山!
弥山神社へ行くには、当然のことながら、標高538mの大麻山を登らなければなりません。大麻山登山口は、大麻比古神社の鳥居を右側に進んでいったところにあります。登山口には、弥山神社の鳥居が立っているのですぐにわかります。ここから山頂までは約2kmあります。
大麻山は、登山やトレイルを楽しむ人も多く、この日も何人かの登山を楽しむ人と出会いました。
しばらく登ると、「参道」と「真名井の水」という分かれ道が見えてきました。
真名井の水・・・。めちゃくちゃ気になりますが、何分とか何kmとかも書かれていないので、とりあえずは、弥山神社をめざして参道の方を進みます。しかし、この石段、誰がどうやって積んだのでしょう。相当な労力を要したことでしょう。
そんなことを考えながら登って行くと、見晴らしの良いところに出ました。晴れた日には、霊峰として知られる剣山や高越山もみえるらしいのですが、この日は、もやがかかっていて、遠くまで見ることはできませんでした。
木と木との間に注連縄らしきものがありました。山頂は近い?
登り始めて1時間余り、ようやく、弥山神社の社殿が見えてきました。階段を乗り切ったところに社殿があり、社殿横には小さな祠がありました。境内を掃除し、祠にお供え物をしている人がいました。地元の人から厚い崇敬を受けていることがわかります。
社殿は、大麻山山頂に建っています。社殿北側には、瀬戸内海が広がっている・・・はずですが、木が生い茂っていて見えません。山頂で、参拝、休憩をして下山することにしました。
山頂で知ったのですが、参道には、表参道と裏参道があるらしく、下山は裏参道を行くことにしました。裏参道は、石段ではなく、山道でした。表参道との合流点を少し下ったところに、「左真名井の水」という案内標識がありました。ここにもどれくらい行ったところにあるのかは書かれていませんでしたが、せっかくなので、真名井の水に立ち寄ってみることにしました。
ほどなく降ったところに、泉があり、小さな祠の中に泉の水が溜められるようになっていました。霊水がいただけるようです。
天の真名井は、天照大神と須佐之男命の誓約で互いの持ち物をすすいだ井戸です。また、天村雲命が邇邇芸命に命ぜられて高天原から水の種を持ち帰り、泉の水と混ぜたの井戸も天の真名井とよんでいます。おそらく、古代の人は清らかな水を霊水として天の真名井と呼んだのでしょう。霊水をいただいて、下山しました。
大麻山と大麻比古神社
阿波国一の宮の大麻比古神社の祭神は、大麻比古大神と猿田彦大神です。
大麻比古大神は、記紀神話には登場しません。大麻比古神社境内にある神社由緒を見ると、阿波国を開拓した阿波忌部氏の大祖先の神様とあります。
大麻比古神社の由緒は、大麻比古大神を天太玉命としていますが、阿波忌部麻植大宮司家の系図(近藤敏喬著「古代豪族系図集覧」)では、天日鷲翔矢命の子が大麻比古命で又名が津咋見命となっています。ちなみに、この系図では、大麻比古命の10代孫が粟国造の千波足尼になっています。
大麻比古神社の祭神が天太玉命になったのは明治以降で、それ以前は、猿田彦命と天日鷲命だったそうです。
いろいろな神様が登場したり、祭神が変更になったりと、大麻比古大神が何者であるかを一層分かりにくくしているような気がします。大麻比古大神ですから、大麻という地域の守護神ということは間違いないのですが・・・。
天太玉命は、日本書紀に忌部の遠祖と記されていますし、天富命に率いられて阿波に入ったのが、忌部の祖天日鷲命だとすれば、どちらも守護神としてふさわしいでしょう。また、この地を支配したと思われる粟凡直一族が、忌部宗家が天日鷲命を忌部神社に祀っているので、その子の津咋見命を大麻比古命を守護神としたとも考えられます。
それよりも、気になるのは、猿田彦大神です。もともと大麻山の峰に鎮まっていたのは猿田彦大神なのです。ヤマト王権創成期に、忌部氏がこの地を支配し、守護神として祖神をこの地に祀るようなったのではないでしょうか。
ちなみに、大麻山の北東の峰を天円山(あまがつぶやま)という、別名を天ケ津峰といいます。標高434mの山頂に、天ケ津神社があり、天鈿女命(あめのうずめのみこと)を祀っています。猿田彦大神と天鈿女命は夫婦神です。並んで立つ二つの峰に夫婦神を鎮めるとは、古代阿波の人々もなかなかロマンチストだと思いませんか?
それにしても、ヤマト王権以前に、大麻の峰に猿田彦大神を祀った人々は一体何者でしょうか?
猿田彦大神は、記紀神話に登場する国つ神で、天孫瓊瓊杵尊の道案内をした神様です。日本書紀には、「鼻の長さ七握(約120cm)、背の高さ七尺あまり(約200cm)で、目は八咫鏡のように照り輝いている」と記されています。
これって浦賀に来たペリーをみた当時の人々が表した表現に似ているとは思いませんか?もしかして、猿田彦大神は外国人???
剣山ソロモン伝説・・・。古代イスラエル・・・。あ~妄想が・・・。