【妄想の阿波古代史】「道は阿波より始まる」の応神天皇ゆかりの地を巡る!その3

阿波古代史を妄想する!

阿波古代史に興味がある人なら一度は手にしたことのある「道は阿波より始まる(著:岩利大閑氏)」。

「いやいやそんなはずはないやろ。」と思いながらも妙な説得力があり、「これホンマやったらすごいんちゃうん。」とワクワクと妄想がとまらなくなります。

今回訪れたのはコチラ!

応神天皇は、品陀真若王(ほむだまわかおう)の三人の娘を妃にします。

三人とも妃に?

一人目の高木入日賣命(たかきいりひめのみこと)が祀られているのが石井町石井にある東王子神社です。

「徳島県神社誌」には、祭神は伊弉冉尊となっています。

「名西郡志」によれば、「延暦2年(783年)3月31日に勧請すと云う境内の若宮神社は仁徳天皇を奉斎す」と書かれています。

勧請すというのが、東王子神社を指すのか境内の若宮神社のことを指すのか判断に悩むところですが、通説では、東王子神社が勧請されたのが延暦2年と解釈されているようです。

どこから勧請されたのかはわかりません。伊弉冉尊という女神を祀っているにもかかわらず東王子という神社名称に違和感があります。

二人目の妃の中日賣命(なかつひめのみこと)をまつるとされる中王子神社です。

中日賣命は、仁徳天皇の母です。

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「徳島県神社誌」には、祭神は伊弉諾尊となっています。

「名西郡志」によれば、「養老7年(723年)9月9日に勧請すと同8年8月2日豊玉比賣を中王子と改称すと云う」と書かれています。

日時まで、やけに詳しいな

中王子神社には、

阿波国造名方郡大領正七位下粟凡直弟臣墓 養老七年歳次癸亥 年立

と刻まれた墓碑が奉納されています。

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神社の創建と墓碑に書かれた年号が同じ

中王子神社も仁徳天皇を祀る境内社があります。他にも境内社はありますが、中日賣命の名は見あたりません。

三人目の妃の弟日賣命(おとひめのみこと)を祀るとされる神社が西王子神社です。

西王子神社という神社はありませんが、「道は阿波より始まる」に掲載された写真などから、石井町浦庄にある王子神社がそれだと思います。

「徳島県神社誌」には、祭神は伊弉冉尊となっています。

ここにも弟日賣命の痕跡はありません。

「道は阿波より始まる」に記載されていないのですが、東王子神社から東北へ約500m位のところに神宅神社(かんやけじんじゃ)があります。

「徳島県神社誌」によると祭神は句句廼知命と豊受姫命です。

なぜこの二柱かというと、「延喜式」には上棟式の祭神として屋船久久遅命(やふねくくのちのみこと)と屋船豊宇気姫命らが定められており、「神宅」という神社名からこの二柱を祀ったものとされていると思われます。

しかし、神宅神社のある地名は石井町石字高良なのです。

神宅・高良と言えば

高良と言えば武内宿禰です。「道は阿波より始まる」では、武内宿禰が神功皇后より功績として賜った土地が神宅で近くの板野町の矢武八幡神社にあった仲哀寺が武内宿禰の居住地だとされています。

神宅神社の境内はびっくりするくらい広いのですが何もありません。「高良」という地名、そして「神宅」ということから武内宿禰に関係がないはずがありません。

今回、応神天皇の三人の妃が祀られているという東王子、中王子、西王子の三つの神社を訪れましたが、三人の妃の痕跡はまったく見つけられませんでした。

なぜ、東王子、中王子、西王子の三社を応神天皇の三人の妃を祀る神社としているのかはまったくの謎です。

隠された地元伝承をつかんでいたのでしょうか?

それが知りたい

その1はコチラ!

【妄想の阿波古代史】「道は阿波より始まる」の応神天皇ゆかりの地をめぐる!その1
阿波古代史に興味がある人なら一度は手にしたことのある「道は阿波より始まる(著:岩利大閑氏)」。 「いやいやそんなはずはないやろ。」と思いながらも妙な説得力があり、「これホンマやったらすごいんちゃうん。」とワクワクと妄想がとまらなくなります。 「道は阿波より始まる」に記された応神天皇ゆかりの地を訪ねてみました。

その2はコチラ!

【妄想の阿波古代史】「道は阿波より始まる」の応神天皇ゆかりの地を巡る!その2
今回訪れたのはコチラ! 別宮八幡神社 「道は阿波より始まる」で応神天皇の御陵とされているのが、徳島市応神町にある 別宮八幡神社 です。 いやいや御陵って・・・。そのほかにも神功皇后の宮や武内宿禰の居住地など、盛りだくさんの内容です。

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