美馬郡つるぎ町の天磐戸神社へ行こうと438号線を剣山へと向かっていたときのこと。
巨大な赤い鳥居が右側に見えました。

いやいやとにかくでかいのです。「石鉄山」と書いてあります。
目的は「天磐戸神社」なので、先を急ぐことにしましたが、あまりに気になったので、帰りに寄ってみることにしました。
しかし、行けども行けども何もなく集落を一つ抜けたところに古びた鳥居がありました。


「津子嶽神社」という朽ちかけた扁額がおそらくそれが掛かっていたと思われる鳥居の下に落ちていました。写真は2015年に訪れたときのものですが、最近グーグルマップで見てみると、鳥居の横に小屋が建っていて、「津子嶽神社里宮」「淡島神社里宮」「秋葉神社里宮」という看板が掛かっていました。
いろいろ調べてみると、どうやら「津志嶽」という四国百名山にもあっている山があり、登山愛好家たちのブログをみると津志嶽に登る途中に「秋葉山」や「津志嶽神社」、「石鉄大権現」らがあるようで、ここはそれらの「里にある宮」だとわかりました。

なるほど、あのでかい赤い鳥居は石鉄大権現の鳥居だったのか
鳥居から少し登ると、お堂があります。そこに車を止めてうろうろしていると、「天日神社入口」という看板を見つけました。山の中に少し入っていくと天日神社がありました。


「徳島県神社誌」によると、祭神は 大日孁貴尊(おおひるめのむちのみこと)となっています。

ほほう、こんなところに
大日孁貴尊は、日本書紀に登場する天照大神の別名です。
天日神社についていろいろ調べてみました。
天日神社の森には、むかしから神代杉とよばれている周囲六メートルにもおよぶ夫婦杉があり・・・阿波の山 徳島郷土双書第5
美馬郡一宇村字久藪の天日神社(元は天一神社)の境内に夫婦杉ある。〈略〉一本目は目通りの周囲九・一メートル、一本は八メートル、高さはともに三六メートルに余り、樹齢は千年以上だと土地で言っている。〈略〉神社の御神体は金の鶏で、開けて見ると目がつぶれると言われていたが、神職の中山佐雪の話では天照大神の木像だとのことである。阿波名木物語 横山春陽 著
佐那河内村に「嵯峨天一神社」という神社があり、明治までは「天一神宮」または「天日神社」とよばれていたとあります。天照大神、月読命、大白星神を祀っています。

天一が天日になったり天日が天一になったり、ややこしい
天日神社の御神体は天照大神の木像ということですが、伝説の「御神体が金の鶏で開けて見ると目がつぶれる」という話が気になります。「開けて見ると見ると目がつぶれる」というのは要するに「見てはいけない」つまり秘密ということです。

天日、金の鶏・・・もしかして
ここからは妄想ですが、阿波古代史好きが「天日」「金の鶏」ということから思い浮かぶのは、やはり「天日鷲命」ということになります。「天日神社の本当の祭神は天日鷲命だけど、それは秘密・・・」なんて妄想が膨らみます。
そういえば、古い鳥居の横にある小屋に掛かっていた「淡島神社里宮」という看板ですが、「津子嶽神社里宮」は津志嶽山頂の津子嶽神社の里宮、「秋葉神社里宮」は秋葉山に祀られていた秋葉神社の里宮だとして、「淡島神社里宮」って・・・と思っていたのですが、粟島は阿波忌部が開拓したところで、そこにはかつて天日鷲命が祀られてました。

おっ、さらにつながった!
祭神が大日孁貴尊一神だけというのも、本当は天日鷲命かも?なんていう妄想ができるのもなかなか興味深い神社です。
近くの天磐戸神社も・・・
