【阿波の神社を行く!】古代のたたら跡があった!延喜式内社「山方比古神社」(徳島市多家良町)

阿波の神社を行く!

927年の延喜式神名帳に、勝浦郡の小社として、山方比古神社(やまかたのひこじんじゃ)が記されています。その論社が、徳島市多家良町立岩41にある山方比古神社です。神社のある多家良町(たから)は、金属製錬を表す「たたら」を由来とするとも言われています。さて、どのような神社なのでしょう。

いざ、山方比古神社へ!

山方比古神社は、国道55号線から、勝浦川を約2kmほど遡った山の麓にあります。

鳥居は小さいのですが、延喜式内社山方比古神社であることを示す石碑は、大変立派でした。

どんな社殿が建っているのだろうと思いながら階段を上っていくと小さな祠がありました。これ以上奥に道はなく、どうやら、これが山方比古神社と思われます。

ちゃぼたつ
ちゃぼたつ

これは、確かに、でかでかと延喜式内社と書いてくれていないと、わからなかったもしれない。しかし、この雰囲気もいいもんです。いつもより、丁寧に参拝しました。

鉱山の神様を祀る山方比古神社とは?

阿波三峰の一つである中津峰山(標高773m)の北麓徳島市多家良町立岩に鎮座。延喜式内社で鍛冶の神金山毘古神を主祭神とし境内に八咫の鏡を制作した天津麻羅(立岩神社)を祀る。古来、この地に銅の製錬・鋳造所があったと伝えられ、神社右脇の山が抉れた部分は古代のたたら跡といわれている。阿府志にも『宮井村金谷にあり、俗に御火社と言う』と記され、また弥生式土器の出土や周辺に点在する古墳等からも古代金属器の製作集団として勢力を振るっていたことがうかがわれる。現在、氏子によって音頭やたたら(古代の溶鉱炉)の技術が伝承され、また周辺の地名も金谷、多々羅川、八多町、小路地、尾羽丁、居内、宮井、等が残っており、氏子の苗字にも岩金、金沢、八田、石田、石尾、立岩、等がある。また、当社に伝存御神体は、鏡を正面に抱いた金山比古神の神像であり『金山はん』として氏子に尊崇されており、当社の北西80mに鎮座する日本最大の巨石陽石天津麻羅とあわせ、我が国冶金技術発祥の地として推定されている。


山方比古神社の祭神は金山毘古神です。金山毘古神は、イザナミノミコトから生まれた神様で、鉱山を司る神様です。古事記では、同じく鉱山を司る金山毘賣神、肥料を司る波邇夜須毘古神と波邇夜須賣神、水を司る彌都波能賣神、穀物の成育を司る和久産巣日神が同時に生まれています。

ちゃぼたつ
ちゃぼたつ

この案内板の奥が古代のたたら跡らしいのですが、私には、何が何やら分かりませんでした。

日本最大の巨石陽石天津麻羅とは?

山方比古神社の北西約80mに鎮座する日本最大の巨石陽石天津麻羅を祀る立岩神社へ向かいました。案内板の右側に奥へと続く山道がありましたが、蛇が出ると嫌なので、金谷橋までもどるルートにしました。山道を5分くらい歩くと、鳥居が見えてきました。


ちゃぼたつ
ちゃぼたつ

これは、なかなかの雰囲気の神社です。パワースポットと呼ばれている理由もわかります。

当社は、日本一の巨大陽石を御神体とする神社である。陽石は、高さ7m、幅4mの巨岩で、基部正面に左右2個の大玉石を配し、素朴にも男根を象徴しているが、通俗的信仰はなく、祭神は、天津麻羅といわれている。御神体の正面はたたら跡(金山神社)を向いており、古代金属器の製作に名工鍛冶・天津麻羅がかかわったことを暗示している。古事記によると『天の金山のまがねを取りて、鍛人天津麻羅を求きて、伊斯許理度売命に科せて鏡を作らしめ」とあり、この地で八咫の鏡が製作されたものと推定されている。八咫は、当地に隣接する八多町に由来し、我が国冶金技術発祥の地であるといわれているが、以来、阿波では天津麻羅を鍛冶の神として崇め、後に天目一神として尊崇されるようになったものである。また、名西郡神山町鬼籠野字元山には、高さ20m、幅20mの女性を象徴する巨岩・立岩神社が鎮座する。
ちゃぼたつ
ちゃぼたつ

「この地で八咫の鏡が製作された」さらっと、物凄いことが書かれています。

立岩神社の祭神は、天津麻羅(あまつまら)です。天津麻羅は古事記に登場する鍛冶を生業とする人物或いは集団だと言われています。天津麻羅(あまつまら)、なかなか立派です。

まとめ

鉱山を司る神の金山毘古神と鍛冶集団の象徴である天津麻羅がそろっている所は珍しいと思います。たたら跡は、古代の銅の製錬・鋳造所だったとされいます。阿波では、弥生時代から銅の製錬を行っていた形跡が各地に残っています。古代阿波では、水銀朱とともに銅も重要な交易品であったと考えられます。八多町も「八多」が八咫の鏡の「八咫」であるというのはともかく、多家町金谷という地名からして、金山神社のある金谷でも銅の製錬が行われていたことは間違いないでしょう。

参考 河田文庫:福永武彦訳「現代語訳古事記」

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