平安時代には阿波国で最高の神階が与えられていた!
「続日本後記第10巻」に、承和8年(841年)、阿波國正八位天石門和氣八倉比咩神に従五位下の神階が与えられたことが記されています。
「六国史」を確認する限り、これは、阿波国の神社の最初の昇叙の記録です。
その後、「延喜式神名帳(927年)」に、大社として掲載されることになります。
「延喜式神名帳」が編纂された927年時点での国史に掲載されている阿波国の神社の神階は次の通りです。
従五位下 伊射奈美神 伊比良咩神 船尽比賣神
従五位上 鹿江比賣神、埴生女屋神、白鳥神
従四位下 天日鷲神
従四位上 葦稲葉神 大麻比古神
正四位上 天石門別八倉比賣神
つまり、927年の時点では、天石門別八倉比賣神社は、阿波国で最高の神階を授かっていたことになります。

阿波忌部の祖の天日鷲神や大麻比古神よりも上だ!
これほどの社格がありながら、天石門別八倉比賣神社については謎の部分が多くあります。
天石門別八倉比賣神社の所在がわからない。
まず、最大の謎は、「延喜式神名帳」に記された天石門別八倉比賣神社の場所がはっきりしていないということです。

最高の神階を授かっていた神社なのに?
現在、候補となっている神社が三社あります。
天石門別八倉比賣神社
徳島市国府町西矢野にある天石門別八倉比賣神社です。
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「徳島県神社誌」では、祭神は、大日靈女命(おおひるめのみこと)となっています。
大日靈女命は、「日本書紀」に天照大神の別名として記されています。
この神社に伝わる「天石門別八倉比賣神社本記」には、ものすごいことが書かれていて「古事記神話の舞台阿波説」や「邪馬台国阿波説」の根拠にもなっている謎に包まれた神社です。詳しくはこちら→

上一宮大粟神社
もうひとつは、名西郡神山町神領にある上一宮大粟神社です。


神領という地名がもうただごとではない!
「徳島県神社誌」では、祭神は、大宜都比売命(おおげつひめのみこと)となっています。
大宜都比売命は、「古事記」で伊邪那岐命と伊邪那美命が国生みしたときに、阿波国に名づけられた名前です。
社伝では、大宜都比売命の別名は八倉比賣命であると伝えられています。
「徳島県神社誌」に載っている上一宮大粟神社の由緒に、大宜都比売命が伊勢国丹生郷から八神の供神を率いて阿波国に移り、国土を経営し、粟を蒔き、この地一帯に広めたとあります。
三重県多気郡多気町丹生には、丹生神社があり、埴山姫命(はにやまひめのみこと)を祀っています。上一宮大粟神社は、一時期、よく似た名の埴生女屋神社(はにめおやかみ)と称していたことがあります。徳島県神社に書かれている伊勢国丹生郷からやってきたということと関係がありそうです。
一宮神社
あとひとつは、徳島市一宮町にある一宮神社です。
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「徳島県神社誌」では、祭神は、大宜都比売命(おおげつひめのみこと)と天石門別八倉比賣命となっています。
寛政5年(1793年)に阿波志編纂のために一宮村から出された史料には、「名東郡一宮村一宮大明神 大宜都比売命 大阿波姫命 伊古名姫命」と記され、大宜都比売命について、粟を作り始めたので大粟姫ともいい、伊予国大三島に鎮座していたが、伊予国丹生之内から神領村へ鎮座し、その後鬼籠野村に鎮座、日本武尊の子の息長別皇子が阿波国造となったときに大宜都比売命を崇敬し、一宮村に鎮座させたと書かれています。

つまり、上一宮大粟神社が元社ということだな。大阿波姫命と伊古名姫命って誰だ?
上一宮大粟神社には、大宜都比売命は大粟山にて粟を植えたので粟国の祖となり、大粟姫・大阿波姫とも呼ばれたと伝わっています。つまり、大阿波姫命とは大宜都比売命の別名だということがわかります。
そうなると、伊古名姫命も大宜都比売命の別名だと推測できますが、この伊古名姫命、そしてなんと大阿波姫も、遠く離れた伊豆国の延喜式内社に祀られています。
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この三社が延喜式内社の天石門別八倉比賣神社の候補になっていますが、それぞれに異説もあって定まっていないのです。
天石門別八倉比賣神が誰だかわからない。
「延喜式神名帳(927年)」の天石門別八倉比賣神社は「あまのいわとやくらひめのかみのやしろ」と読みます。
天石門別八倉比賣神を祀ったお社なのですが、当時の阿波国で最高の神階を授けられた天石門別八倉比賣神が誰だか全くわからないのです。
前述した延喜式内社の論社の祭神から考えると大日靈女命か大宜都比売命ということになります。

大日靈女命が天石門別八倉比賣神だとすれば、大日靈女命は天照大神の別名であり、皇祖神で最高神の天照大神に神階が授けられるのっておかしくないか?
阿波の国学研究者の城福勇氏は、その著書「わが残照 : 阿波郷土史研究」で、「天石門別八倉比賣神社本記」は偽書であると言い切っています。
国立国会図書館デジタルコレクションで拝読することができます。確かな知見に基づいた説得力のある説で、私もその通りだと思います。
明治9年(1876年)に、明治政府の教部省が延喜式内社について考証した「特選神名牒」も「天石門別八倉比賣神社本記」は偽書であるとし、一宮町にある一宮神社が延喜式内社であるとしています。
「特選神名牒」の編者には阿波出身の国学者の小杉榲邨も加わっていますので、異論があればそこまではっきりとは記さないだろうと思います。

そうなると大宜都比売命か?
天石門別八倉比賣神社は「延喜式神名帳(927年)」では大社となっています。
大社に選ばれる理由は、その神様が国家の安寧や存続に直結する力、霊験を持っていると信じられていたことです。
平安時代における国家の安寧や存続に直結するといえば、まず思い浮かぶのが五穀豊穣です。農耕にとって最も大切な祈雨・止雨について霊験を持っていることが重要だったと思われます。
大宜都比売命は、「古事記」で五穀の起源の神様としても登場しています。大宜都比売命は農耕にとって大変重要な神として祀られていたに違いありません。
「古事記」で阿波国の名として記される大宜都比売命が、大粟姫あるいは大阿波姫と称されたとしても何ら違和感はありません。

そうなると天石門別八倉比賣神=大宜都比売命か。
しかし、その根拠は、「阿波で最高の神階を授かった女神なんだから、それはもう大宜都比売命しかいないでしょう。」というもはや願望に近いものです。
ただ、前述の「特選神名牒」も「天石門別八倉比賣神=大宜都比売命」については、大宜都比売命の別名である大阿波姫命は、伊豆国の延喜式内社阿波神社で祀られている阿波咩命と同一神と考えられるので、阿波咩命を同じく延喜式内社の天石門別八倉比賣神とするのは「定めがたし」と躊躇しています。
八倉比賣命の名が系図に記されている?
実は、八倉比賣命の名が記されている系図が二つあります。
安房忌部の子孫となる洲宮神社祠官小野家所蔵の「斎部宿祢本系帳」と大伴氏の系図を示した「古屋家家譜」です。
「斎部宿祢本系帳」には、神魂命の五世孫の天背男命が阿波忌部の祖の天日鷲命の父として記され、「亦名天石門別命、明日名門命といい、后神八倉比賣命」と注記があります。

天日鷲命の母!
天背男命については長くなりますので、こちら→

「古屋家家譜」では、高皇産霊尊の四世孫に天石門別安国玉主命がいて、「一名大国栖玉命、一名大刀辛雄命、妻神八倉比売命」と注記がされています。

ちょっと天手力男命ってこと?
しかし、天背男命は神皇産霊尊系で、天石門別安国玉主命は高皇産霊尊系なのでそもそも系統が違います。
ただ、「延喜式神名帳(927年)」に「土佐国吾川郡天石門別安国玉主天神社」が掲載され、天石門別安国玉主天神と非常によく似た神が登場します。
この天石門別安国玉主天神社の近くに、同じく、土佐国の延喜式内社である朝倉神社があり、「土佐風土記(8世紀中ごろか?)」に「土佐郡有朝倉郷、郷中有社、神名天津羽羽神。天石帆別命。今天石門別神子也。」と記されており、天石門別安国玉主天神は、天津羽羽神の父であるとされています。
天津羽羽神は、「斎部宿祢本系帳」にも登場し、天背男命の子で八重事代主命の妻であると注記があります。

うわ!もうぐちゃぐちゃ!
系図には、一族を大きくみせるために誇張があるのは当然で、情報が多すぎて、そのまま信用するというわけにはいきません。
ただ、天石門別安国玉主神の后神が八倉比賣神というところだけみれば、天石門別八倉比賣神という神名も納得がいきます。
ただ、そうなると、なぜ天石門別八倉比賣神が阿波国で最高の神階を与えられたのかという疑問が残ります。
「斎部宿祢本系帳」を信じると、阿波忌部の祖の天日鷲命や事代主神の妻の天津羽羽命の母神だということになりますが、いまひとつ釈然としません。
まとめ
天石門別八倉比賣神の謎を長々と考察してきましたが、やはり、そう簡単には解けないものです。
個人的には「同一神」という言葉はあまり認めたくないのですが、あえて言うと、やはり、「天石門別八倉比賣神=大宜都比売命」に分があるように思います。
「古事記」をはじめ、どの書物にも登場しない神様に、阿波の祖神とされる天日鷲命や大麻比古命よりも上位の神階を与えるとは考えられないからです。
ただ、天石門別八倉比賣神「延喜式神名帳(927年)」に掲載された2861社の中で「天石門別+神名」となっている神社は、阿波国の天石門別八倉比賣神社、天石門別豊玉比賣神社と土佐国の天石門別安国玉主天神社の三社しかありません。
この三神に関係がないというほうが不自然です。
もしかして、「古事記」や「日本書紀」に記されていない重要な神が阿波国や土佐国にいたのではと妄想を掻き立てられます。
天石門別八倉比賣神は、卑弥呼でもなく天照大神でもない阿波固有の最高神として祀られていたことは確かなのです。
