927年に編纂された延喜式神名帳に「阿波国 美馬郡 彌都波能賣神社(みつはのめのかみのやしろ)」と記された神社があります。
彌都波能賣神社のある美馬郡の「みま」は「みぬま」から変化したものであり、もともとは水神である彌都波能賣の神の名から起こったという説もあります。

美馬の名の起こりの神様!
彌都波能賣神は、伊邪那美命(いざなみ)が火之迦具土神(ひのかぐつち)を生んだことによって火傷を負い苦しんでいるときに、その尿から生まれた神です。尿からは和久産巣日神(わくむすひ)も生まれており、その子が豊受気毘賣神(とようけびめ)と古事記は記しています。

豊受気毘賣神は伊勢神宮の外宮の主祭神だな
ちなみに豊受気毘賣神を祀る延喜式内社が板野郡にあります。

延喜式神名帳に記された彌都波能賣神社は現在ではどこにあったかわからなくなってしまいましたが、その候補の神社がいくつかあります。
八坂神社 美馬市美馬町滝宮231


「徳島県神社誌」によると、祭神は素戔嗚尊となっています。素戔嗚尊を祀る八坂神社は、どういうわけか「滝宮」と呼ばれているところが多いような気がします。

祭神が素戔嗚尊なのに、なぜ彌都波能賣神社の候補に?
この根拠が全くわからないのですが、八坂神社の北側に竜王山という阿波と讃岐にまたがる山があります。その山頂付近に水婆女神社(みつはめ)という神社があります。龍王神社とも呼ばれており、干ばつの際には地域住民が雨ごいをしたと伝わっています。
水婆女神社の祭神は水婆女命(みつはめのみこと)となっていますが、おそらくこれは みつはのめのみこと であると思われます。
八坂神社が彌都波能賣神社の候補とされたことと何か関係があるのかもしれません。

竜王山山頂にある水婆女神社は元社ってこと?
八大龍王神社 美馬市脇町拝原1930


「徳島県神社誌」によると祭神は、弥津波能売命となっています。
江戸時代に徳島藩が編纂した「阿波志」によると、延喜式内社の彌都波能賣神社を「拝村龍王祠」(現在の八大龍王神社)であるとしてます。
また、八大龍王神社でも地元の住民が雨ごいを行っていたと伝えられています。
建神社 美馬市脇町猪尻


「徳島県神社誌」よると祭神は、建速須佐之男命となっています。
建神社は、延喜式内社の「美馬郡 建神社」の候補にもなっています。

彌都波能賣神社か建神社かそのどちらでもないか・・・
建神社は、明治までは「天王祠」と呼ばれていたらしく、鳥居の扁額にも「天王宮」と書かれています。
昔、神社の鳥居のあたりに泉があって地元の人が「水神さん」と呼んでいたらしく、そのことが彌都波能賣神社とする根拠のようです。
武大神社 三好市井川町井内谷
「たけおじんじゃ」と読みます。
「徳島県神社誌」によると、祭神は、素戔嗚命、稲田姫命、八気蛇猛命となっています。
こちらは、延喜式内社の「美馬郡 田寸神社」の候補にもなっています。
武大神社ももともとは牛頭天王を祀った祠だと言われており、「瀧宮」と呼ばれていたようです。「瀧宮」から「田寸神社」の候補地とされているようです。
彌都波能賣神社の候補となった根拠が「阿府志」に書かれています。
武大神社の神宝に、神穏やかなるときにめちゃくちゃ増える一本の毛があり、その神宝を「ミツハメ神」と呼ぶらしく、「阿府志」の作者は、彌都波能賣神を祀ると考えたようです。
「ミツハメ」という呼び名は、竜王山の山頂にある「水婆女神社」の祭神と同じ読み方をします。

一本の毛が神宝とは・・・そっちのほうが気になる
まとめ
延喜式内社の彌都波能賣神社の候補の神社を四つ紹介しましたが、個人的には竜王山の山頂にある「水婆女神社」が一番それっぽく思うのですが・・・。
さて、美馬郡の地名が彌都波能賣神の神名から起こったものではないかと推察したのは民俗学者の折口信夫氏です。折口信夫氏は、「水の女」という著書の中で、「みぬま」は水辺に現れる神で禊と深くかかわっていると述べています。

禊と言えば滝、それで滝宮が彌都波能賣神社の候補になっているのか
彌都波能賣神は水神ですから、稲作には欠かせない神様です。古来、龍は空を飛び、雲や雨を起こす霊獣とされています。そこから龍神とされ、雨乞伝説が生まれたと考えられています。そう考えると「竜王(龍王)神社」が水神を祀る彌都波能賣神社の候補になるのも不思議なことではありません。
いずれにしても、全国に彌都波能賣神を祀る神社はたくさんありますが、延喜式内社で彌都波能賣神の名がつく神社は、阿波にしかありません。古事記に登場する彌都波能賣神もまた阿波神なのです。