【阿波の神社を行く!】「和多都美豊玉比賣神社 天石門別豊玉比売神社」神武天皇の祖父と祖母が出会った場所は阿波だった!

阿波の神社を行く!
 927年に編纂された延喜式神名帳には、朝廷より幣帛を受ける全国の神社2861社(3132座)が記されています。それらの神社は式内社と呼ばれ、927年の時点で確かにその場所に存在していた由緒ある神社です。
ちゃぼたつ
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延喜式神名帳には、豊玉姫の名を冠する神社は「阿波国 名方郡 和多都美豊玉比賣神社」と「阿波国 名方郡 天石門別豊玉比賣神社」の2社しかない。天皇家と深いかかわりのある豊玉姫の名がつく神社が阿波にしかないとは、これは捜査せねばなりませぬ。

豊玉姫とは?

豊玉姫命は、海神大綿津見の娘です。初代神武天皇の祖父の彦火火出見尊(ひこほほでみみこと)の妻で、鸕鶿草葺不合尊を産みます。この鸕鶿草葺不合尊の子が後の神武天皇となります。

彦火火出見尊は、天孫瓊瓊杵尊の子で、兄の火酢降命から借りた釣り針を探しているときに、海神の宮に着き、そこで、豊玉姫と出会います。

阿波国 名方郡 和多都美豊玉比賣神社

和多都美豊玉比賣神社とされているのが、徳島市不動西町4-2024にある雨降神社(あまたらし)神社です。

雨降神社は、鮎喰川が吉野川に流れ込む田園地帯にひっそりと鎮座しています。

雨降神社から約1kmのところに雨降神社の一の鳥居がありました。察するに往古の社域は相当広かったと思われます。

社殿の壁に、神紋らしきものが飾られていました。波に囲まれて真ん中に玉があるという特徴のある紋です。豊玉姫は、彦火火出見尊との別れの時に、潮満玉(しおみちのたま)と潮涸玉(しおひのたま)を授けています。神紋はそれを表しているのでしょうか?

阿波国 名方郡 天石門別豊玉比売神社

天石門別豊玉比売神社は、徳島市眉山町大滝山にある春日神社の境内にあります。春日神社は、鳥居も社殿も立派ですが、天石門別豊玉比売神社は春日神社鳥居左手にひっそりと建っています。

祠の横にこんな説明書きがありました。

豊玉比売神社のの御祭神は天石門別豊玉比売であります。此の神は「古事記」神代記物語中、実に多くの頁を費やし、種々の寓話を述べられている大女王です。そのにまた神武天皇の出生に連なる山彦、海彦も記しています。わが国天皇家生の歴史はこの海人族の大女王を無視しては成立しません。山幸彦は倭城(現脇町)の住人です。隠国といわれ、倭は言挙げせぬ国などと称され、発言を封じられていた阿波国ですが事実の前にはさからえなかったのでしょう。醍醐天皇の御代に定められた延喜式神名帳では、日本国内で阿波一国にのみ奉祀せられています。日孁命と同様、天石門別豊玉比売が豊日孁命の殯宮、同じく式内社綿津見豊玉比売神社が「古事記」海幸彦、山幸彦の物語中に出てくる龍王宮の宮殿跡を社地として祀られています。わが国の国始めの基礎を不動のものとしたこの大女王の神名の上に天石門別と延喜式で記されています。はるか太古、神々の物語時代から天石門の外界に現れたの意味で、この神より後人皇の歴史となってきます。倭国天皇の皇統に君臨するのが日孁命、豊日孁命であることが歴然としています。
ちゃぼたつ
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これって、日孁命が天照大神で、豊日孁命が豊受大神ってこと?それとも、日孁命が卑弥呼で、豊日孁命が跡を継いだ台与ってこと?豊玉姫が大女王であるということを言いたいのかなあ・・・。

「山幸彦は倭城(現脇町)の住人です。」って、山幸彦は、天孫瓊瓊杵尊の子、彦火火出見尊と言われている。この彦火火出見尊と豊玉姫の子が鸕鶿草葺不合尊で、その子が神武天皇である。さらっと書かれているけど、これは、天孫降臨の地は、阿波だということが前提になっている。

天石門別豊玉比売はもともと徳島城跡にあった竜王神社に祀られていたといわれています。徳島城跡には、「竜王さんのクス」といわれるクスノキがあります。

かつては、100mほど離れたところに竜王神社があったのでこの名がついたそうです。

豊玉姫と彦火火出見尊が出会った場所は阿波なのか?

彦火火出見尊は、鸕鶿草葺不合尊を産んだ豊玉姫が去るときに「おきつとり かもどくしまに わがいでし いもはわすれじ よのことごとに」という歌を詠み別れを惜しんでいます。

原文は、古事記では「意岐都登理 加毛度久斯麻邇 和賀韋泥斯 伊毛波和須禮士 余能許登碁登邇」となっています。多くの解釈では「意岐都登理 加毛度久斯麻邇」は「沖にいる鴨の着く島」と解釈しています。「おきつとり」は鴨につく枕詞です。

枕詞はその後に置く言葉の修辞として付ける言葉なので、「鴨」の枕詞である「おきつとり」に大きな意味はありません。大事なのは「カモ」ですが、これは本当に「鴨」と解釈してよいのでしょうか?古事記に詠まれている歌の枕詞の多くは、地名や人名に付いています。

例えば、「みつみつし」は久米氏、「かみかぜの」は伊勢国、「たたなめて」は「い」のつく地名にかかる枕詞で、「妻隠る」は「や」のつく地名にかかる枕詞です。他にも須佐之男命の「やくもたつ・・・」や倭建命の「やつめさす・・・」は出雲にかかる枕詞、弟橘比売命の「さねさし・・・」は相模国にかかる枕詞です。

ちゃぼたつ
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「おきつとり」は、鳥の鴨ではなく、「加毛度久斯麻」という地名にかかる枕詞として詠まれていたとすればどうだろう。彦火火出見尊と豊玉姫が出会った所は「加毛度久斯麻」という地名になる。「加毛度久斯麻」は「かもつくしま」と読むより、「かもとくしま」と呼んだ方が自然である。

名方郡には賀茂郷があり、当時、吉野川河口には多くの島がありました。徳島の地名は天正13年(1585年)に蜂須賀家政が命名したとされています。家政が選んだ渭山の東方に、吉野川の三角州にできた島の一つに「とくしま」という島があり、縁起のいい名前であるから、城と城下町の名にしたと伝えられています。名方郡賀茂郷には「とくしま」という島があったのです。

ちゃぼたつ
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彦火火出見尊が通った豊玉姫の住まいは、「かもとくしま」、つまり、賀茂の徳島だ!美馬郡にいた彦火火出見尊が吉野川を下って、豊玉姫に会いに来ていたのか!

雨降(あまたらし)という名の謎

雨降神社はもと雨降大明神とよばれていました。近くに池があり、雨乞をすれば必ず雨が降るといわれたそうです。

古来、龍は空を飛び、雲や雨を起こす霊獣とされています。日本書紀には、豊玉比売は鵜茅不合葺命を生むときに龍の姿であったとされています。そこから龍神とされ、雨乞伝説が生まれたと考えられます。このことから、徳島城跡にあったとされる豊玉姫を祀る神社も竜王神社とよばれていたのでしょう。おそらく、雨降神社も豊玉姫を祀ることから、龍神=雨乞として、漢字があてられたものだと考えられます。

第5代考昭天皇の子に、天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)と日本足彦国押人(やまとたらしひこくにおしひとのみこと)がいます。日本足彦国押人はのちの第6代孝安天皇となります。2人の皇子の母は世襲足媛命(よそたらしひめのみこと)といいます。2人の皇子の名の「たらし」は、世襲足媛命に由来すると思われます。

さらに、第12代景行天皇は、大足彦忍代別天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらのみこと)、第13代成務天皇は、稚足彦天皇(わかたらしひこのすめらのみこと)、第14代仲哀天皇は、足仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらのみこと)、仲哀天皇皇后の神功皇后は、気長足姫尊(おきながたらしひめ)といいます。

ちゃぼたつ
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「雨降(あまたらし)」は、もともと天足(古事記では「天帯」)と記されていたのではないか?

まとめ

ちゃぼたつ
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今回の調査をもとに、推理してみると・・・。

豊玉姫の名がつく神社が阿波にしかないからといって、豊玉姫がいたのは阿波だとは言えない。豊玉姫は、海神大綿津見の娘であるから、阿波にやってきた海人一族が豊玉姫を祀ったのかもしれない。

古事記の歌からすると、賀茂の徳島にいたような気もするけど・・・。実在したとされる第10代崇神天皇が4世紀頃とすれば、豊玉姫は弥生時代の人物である。8世紀につくられた古事記・日本書紀は、どんな伝承・伝説をもとに書かかれたのか。

そう簡単には、古代史の謎は解けないものだ。

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